1万年堂出版が開催した
読者感想文コンクールの
入賞作品の一部をご紹介します。

銅賞

『なぜ生きる』と父

細江隆一さん (50歳・岐阜県) 一般の部

亡くなった父は、会社を退職してから仏教に凝った。仏教関係の著作を買ってきて読むだけでなく、放送大学にまで参加して、毎月学校に通っていた。本棚には梅原猛、五木寛之を始めとする仏教関係の本がずらりと並んでいた。
私がそれを知ったのは、父が放送大学のテキストを見せてくれたからだった。帰省すると、父が私に手渡してくれたのがそれだった。ぱらぱらとめくり、「すごいね」と言うと、父は嬉しそうに笑った。実際、私には理解できない言葉ばかりが並んでいたから「すごい」と思ったのは当然だった。

父が亡くなり、残された著作を紐解いた。父が何を目指していたのかを、知りたくなったのだ。
そして、私はようやく気が付いた。
「父は『どうやって生きるべきなのか』『何のために生きるべきなのか』を考えていたのだ」と。

『なぜ生きる』には、たくさんの偉人や一般人のエピソードが出てくる。成功しても心に闇を抱えて自ら命を絶ってしまう人。逆に失敗しても、自ら生きようという意志を持つ人。その一つ一つのエピソードがく具体的かつ新鮮で、思わずページを開いてしまうのは、私だけではなかったろう。これで読み通すのは二度目だが、読むたびに新しい発見があると感じている。

さて、この本のタイトルにもあるように、私たちは「なぜ生きる」を普段から考えることはない。しかし、ときにじっくり考えるべき問題でもある。父を亡くしたとき、私はこの問題に直面した。

父の人生は幸せだったのだろうか。
そもそも「幸せ」とは何か。
私はどうしたら幸せな人生を送ることが出来るのだろうか。
そのためには、いま何をすべきなのか。
今回『なぜ生きる』を再読したのは、父からのメッセージではないか。そう思っている。

本書で重要なのは、「目的」と「手段」の話だと思っている。この二つを勘違いしてはいけないのは周知の通りだ。人生の目的は親鸞の言う「永遠の幸福」であり、そりを達成するための手段が趣味などにあたる。これを勘違いしている人が多いからだろう。
これは私にも該当する。例えば、ひたすらお金を貯めることに邁進した時期があった。ちょうど貯金が無かった時期で、「お金があれば幸せになれる」と信じ、ひたすら節約してお金を貯めていた。毎月通帳を眺めては、悦に浸っていたものだった。
これなどは、「目的」と「手段」を混同してしまった良い例だろう。お金を貯めるのは「永遠の幸福」を達成するための「手段」なのだが、私はそれを「目的」と勘違いしてしまい、「お金があれば幸せになれる」と思い込んでしまったのだ。
それに気が付いたき、私はお金にしがみつくのを止めた。募金箱などにお金を入れるようになったのは、ちょうどそのころだった。

お金があることは確かに大事だが、それを「手段」として幸せをつかむことはもっと大事なことだと思う。例えば、他者のためにお金を使えば、他者を助けるだけでなく、自分も幸せな気持ちになれる。「永遠の幸福」に一歩近づけるわけである。
募金はその一つの方法だが、確かにお金を箱に入れたとき、何とも言えない良い気持ちになったのは事実だった。「手段」を「目的」としてしまうと、本当の目的を見失ってしまう可能性がある。それを体験から学んだのである。

世の中にはお金持ちと、そうでない人がいる。私も後者だが、その視点からすれば「お金持ち=幸せの象徴」である。お金を持っていれば幸せになれると思い込んでいる。
だが事実は違う。お金があればそれを守る必要がある。お金を狙って近づく人たちは、数知れないからだ。それに、「もっと稼ぎたい」という欲望にも駆られてしまうし、「お金が全て」だと思い込んでしまうこともあるだろう。お金持ちには、お金持ちなりの悩みがあるわけである。

後年の父によく言われたのは、「いまの幸せを大事にしろ」だった。いまここにいる自分、いまの生活、いまの人生を大事にしろ、と。「もっと幸せになりたい」という夢はあっていいが、いまの幸せを実感していないと、それを実現するのは難しいのだ、と。

思えば父は、お金に執着しない人だった。募金箱があれば札を入れていたし、金を貸して欲しいと言えば、すぐに貸した。祖母が亡くなったときは、お世話になったからという理由で、社会福祉協議会にお金を寄付した。「お金は生きる手段だから、使わないといけない」というのが、父のモットーだった。そんな当時の父に不甲斐なさを感じていた私だったが、いま思えば、あれは正しい行為だったのだと思える。

「永遠の幸福」を手に入れるのは、簡単なことではない。しかし、「手段」と「目的」を勘違いせず、日々邁進すれば、きっと手に入るのではないか、そう思っている。
いま私は父の残した仏教関係の本を少しずつ読んでいる。自分が知らない言葉ばかりで、一気に読めないのだが、それでも「永遠の幸福」とはこういうものか、というイメージを持つことが大事なので、そのまま読み進めている。そして、少しでも父に近づきたいと思っている。

『なぜ生きる』も父の本棚にあった。私も持っているので、父と内容を共有できたことがいまも嬉しい。父は亡くなるとき「幸せな人生だった。ありがとう」と言い残した。私もそれが目標である。やり残したことがないよう、自分のやりたいことを全てやり、その上で天上に召されたい。そう思う。
三度目、『なぜ生きる』を読み返し、私も父に近づこう。