1万年堂出版が開催した
読者感想文コンクールの
入賞作品の一部をご紹介します。

銀賞

『思いやりのこころ』を読んで

伊藤静香さん(小学4年生・静岡県) 小・中学生の部

私が小学校4年生になった時、祖母からプレゼントされたのが、1万年堂出版の『思いやりのこころ』の本です。

表紙の絵の風景は、自然がいっぱい、どんな本なのかなと胸がドキドキしました。

はじめに、本の中の写真を見ました。桜の花びらが、風にふかれてちっていく風景、すばらしい七色の景色。どこまでも続いている草原。私の夢の中に出てくる風景ばかりです。

この本の中に、私の小学校の校庭に立っている銅像、二宮金次郎の人生が書かれていたのです。入学して以来、三年間、薪を背負い、本を読みながら歩く、あの子どもの姿の銅像に心ひかれ、
「どういう人なのかな、何をした人なのかな、二宮金次郎のことが知りたい」
と思っていたのです。そしておどろいたことには、私が湖西市、二宮金次郎は小田原、私の住む遠くないところに住んでいた人だったのです。

いつか社会科の勉強で学ぶような気がします。遠い遠い昔の人、「テレビ」も「車」も「電化製品」も何ひとつない時代のことです。天明の時代に生まれた人 と知りました。二宮金次郎が、町民のために、自分の命をかけてなしとげた業績、活躍の数々と努力に、大きな拍手をおくりたいと思いました。

二宮金次郎がそんな気持ちになったのは、妻と3歳の男の子がいたからと書かれていました。その3歳の子どもの気持ちを知りたいです。昔の日本は貧しかっ たんだなぁと思いました。「自分には、きびしく」「人にはやさしい」その心の大切さを教えられました。「人のためにつくす」。この言葉の重さははかりしれ なく、強く、考えさせられます。

私の祖母は今、76歳、高齢者となりましたが、よく子どもの頃の話をしてくれます。学校から帰ると父母は農業の仕事で、いつも祖父母が「さつまいも」を ふかして、待っていたそうです。「せんたく」は1週間に1度、川に行ったこと、水道はなく、井戸水を「おけ」でくみ上げての生活だったことを話してくれま す。

祖母はいつも、「子どもの頃が、貧しくても、一番楽しく幸せだった」と言って、笑顔で話してくれます。本当の幸せってなんだろうか、考えさせられます。「テレビ」もなく「車」もなく「電話」もない時代、今の私にはとても想像できません。

「荒地よりも、人間の心を耕す難しさ」。二宮金次郎のこの言葉の意味は、いつの日か、分かる日が来るでしょうか。開墾作業には、他国からも多くの人が雇わ れてきていたと書かれていました。その中の1人、「根っこの藤助」と呼ばれていた60過ぎの老人がおり、休けい時間も、休まず働いていたと書かれていまし た。二宮金次郎は、その人に、昔のお金15両の大金を差し出し、「家族のために使いなさい」と言って、渡したと書かれていました。二宮金次郎の温かい言葉 に、藤助は涙を流して喜び、国元へ帰っていきました。二宮金次郎は、なんと、「やさしい心の人」でしょうか。

二宮金次郎が一貫して、村人に訴え続けたことは「利他の精神」です。「自分さえよければいい」という我利我利の心をすて、一致協力する心の大切さを叫び つづけたのです。今の社会が求めなければならない「心」ではないでしょうか。二宮金次郎の「心」を知ったことで、9歳の私は、人生に「心の財産」をいただ くことができました。
二宮金次郎は、70歳で亡くなるまで、生涯、悲惨な生活に苦しむ人々を救うことに尽力した人であったことを知り、改めて本当に「立派な人」だったのだ と、尊敬の気持ちでいっぱいです。私の学ぶ、湖西市の岡崎小学校の校庭に建っている銅像、二宮金次郎の姿とともに学ぶことができ、幸せを感じるようになり ました。

良書に出会ったことに感謝の心をこめて、まず私から、二宮金次郎を目標として『思いやりのこころ』で学びつづけたいと思います。よみがえる二宮金次郎に感謝。