1万年堂出版が開催した
読者感想文コンクールの
入賞作品の一部をご紹介します。

銀賞

『親のこころ おむすびの味』を読んで

村上恵さん(25歳・宮城県) 一般の部

先日私は25歳になった。25歳にもなると、「結婚」の話題がよく出てくるようになる。私の場合も例外ではない。しかし周りが言う程、焦りを感じていな い。今の状況に決して満足しているわけではないけれど、好きな仕事をし、好きな仲間達に囲まれて過ごすこの毎日も気に入っている。そんな私を誰よりも心配 し、早く家庭をもち、幸せになることを願っているのが母である。

『親のこころ おむすびの味』というタイトルを本屋で初めて見たときに、すぐにこの本の内容が気になり購入した。早速読んでみると、様々な体験談の中に、 78歳の女性が書いた、自分が養子に行く日に、母親が持たせてくれたおにぎりの話があった。その話を読んだ時に、私は自分が実家を離れ、一人暮らしを始め た時のことを思い出した。

母は、私や兄弟の小さい頃は、家に居て、私達の面倒を見ながら、祖母と一緒に田畑の作業を行っていた。しかし、私の高校受験の頃、タンカー船の乗組員 だった父が体調を崩し、仕事復帰が困難になってからは、代わりにパートに出て、家族を養ってくれた。そして、母と一緒に元気に農作業をしていた祖母に、次 第に認知症の症状が現れ始めてからは、家事・パートの他に、介護も仕事に加わり、母の負担は大きくなっていった。あの頃周りから、「お母さんずいぶん痩せ たようだけど、体調は大丈夫なの?」と聞かれたことからも、今思えば、その苦労が窺える。

そんな母に後ろめたさを感じながらも、私は大きな決断に出た。20歳の誕生日を迎える1カ月前、私は実家を出て、仙台で一人暮らしを始めることにしたの だ。高校生の時から、「仙台で仕事をしたい」という希望があった。しかし、家の事情を考えると、一人暮らしの初期費用や、生活が軌道に乗るまでの援助をお 願いすることなどできなかった。

ひとまず地元に残り、自立するための準備をしよう、そう思って、地元で仕事を探した。そして、ある程度目処が立ったので、「家を出たい」という自分の想いを伝えた。

強い反対を受けた。仕事が決まっている訳でもなく、行ってから仕事を探すという無茶が一番の理由だった。もちろん、地元にいながらも仙台の就職セミナー に参加したりしていたが、「住所が地元のままだと、採用は難しい」という話を聞いたこともあり、そのような考えに至ったということも話した。その時は気付 かなかったのだが、初めて自分一人でした、大きな決断だった。

いつも、自分のこれからが変わるかもしれないという時には、家族の意見を必ず聞いて参考にしていた。だからそれまでは、反対されれば後が怖くて、それに 従ってばかりだった。でも今回は違った。何度も説得した。そして遂に、「できるかどうかやってみなさい。但し無理だと思ったらすぐ帰ってくること」という 条件つきの了承を得ることができた。

そして引越の日……それまで何度も食べたことのある、母のおにぎりが、今までで一番おいしくて、もったいなくて、そんな気持ちになりながら食べたのは、 あの日が初めてだった。まだ何もなくて、がらんとしたアパートに着き、部屋作りの前にまず腹ごしらえと、家を出る時に母が持たせてくれたおむすびを食べ た。すると急に、「これを食べ終わったら、しばらくお母さんのご飯は食べられなくなるんだ……」という寂しさが襲ってきた。あれだけ強い意志で説得して、 家を出てきたはずなのに、母の抱えた負担を、近くにいて軽くしてあげようと思えなかった、自分勝手な考えに気づいた。母の1日が当たり前になっていて、家 事やパート、そして介護、全てをこなすことがいかに大変かということを分かっていなかった。

最後まで読んでみると、この本に載っている数々の体験談を書いた方々も皆、例外なく私と同じであった。親元から離れた時、自分が親と同じ立場になった 時、自分が困難の中にある時に初めて、「親のこころ」に気付くことができたのだ。そして、親もまた、私の母と同じであった。優しさという愛、厳しさという 愛。形は違っても、子は皆、親の愛に包まれていた。しかし何かのきっかけがなければ、その愛に気付くことはなかなか難しい。

地元を離れて5年が経った。時々母から、たくさんの愛情が届く。自分で育てた季節の野菜やお米をダンボールいっぱいに詰めて送ってくれる。普通サイズよ り小さめの野菜が入っていたりするのには、一人暮らしの私が、材料を余さずに、1回の料理で適量を作れるようにという心遣いがある。

「親のこころ」を少しずつ分かってきた今、私が母にできることは何だろう。やはり私が、早く良きパートナーと結ばれることが、母の願いのようだ。その「母のこころ」を理解できるようになるのは、私が母となり私と同じ年代の子供を持った時なのかもしれない。