最近になって、自分が両親に対してぶっきらぼうな態度をとるようになったのは反抗期ではないかと気づいた。いつ始まったのか思い返してみると、確か中学2年生の後半であったと思う。それまでなんの疑問もなく必死に勉強していた私は、ある日それが自分の意志ではないことに気づいてしまった。中国で小学校に通いだしたときから、私は負けたくなかった。日本に来てからも級友に上位を譲るまいと努力していた。それがある日、本当に自分がやりたくてやっているのかと思うようになったのである。
高校に入ってからその傾向は強くなった。成績は悪くない。しかし両親のために勉強しているのかと思うと、なぜか不満なのだ。そして両親とは「小競り合い」も頻繁で、自分では言うつもりではなかったこともポンポン口から出る。出てからヒヤッとする。毎日その繰り返しである。「親の心、子知らず」という言葉がある。
しかし私だけは両親の心のうちを知っていると自負していた。私は両親に、私の無条件の味方となってほしい。しかし結局勉強ができる自慢の娘になってほしいという両親の思いがある限り、それは不可能だという結論に達してしまう。そのためだろうか。私は両親を心配させることが多くなった。早く学校が終わっても寄り道をして遅くなることがしばしばだ。しかし自分としてはたいしたことではないと思うことを叱られるなら仕方がない。ただ、両親を心配させまいとして怪我したことを隠していたとき叱られたのは、不本意だと思った。両親は私の味方ではなく、敵にまでなるようになった。
最近、私は幼いころを思い出す。一人っ子として両親に甘えられた時代は長くなかった。父は私が4歳、母は8歳のとき日本へ留学に来て、私は上海で祖母と2人暮らしだった。母が日本へ留学に来た後、半年で家族はまた東京で再集結できた。しかしそのときには私はものわかりのいい、手のかからない子になっていたと思う。
祖母によると、母までもが日本に留学へ行ってしまったとき、私は1度だけ泣いたという。そしてそれを祖母に宣言して、それからはもう涙を見せることはなかったそうだ。そんな子供に、日本に来てから妹ができたのである。ますますものわかりがよくなってしまうのは目に見えている。それから私は少しずつ不満をためていったのかもしれない。
その不満を爆発させるまでに、私は幸運にも『親のこころ』に出会うことができた。この本は今まで、私に勉強のできるいい子になってもらうことが両親の思いとばかり思っていた私に、それは違うのだということを教えてくれた。
一番こたえたのは本の最初のほうにあるエピソード。「親は、子供が『ただいま』と家に帰ってくるまで心配なんだ」。寄り道で怒られたのは、勉強時間を減らしたからではない。私がもっと早く家に帰ってこられたのに、遅くまで外にいた分、ひどく心配してくれたからだ。怪我を隠していたのを怒られたのも、むだに心配をかけたからである。私の動きがいつもと違うと、母は分かった。普段妹のことばかり見ていると思っていた私は、実は両親がこんなにも私のことを見てくれていたのかと、本を読みながら深く感動した。もちろんそれぞれの親にはそれぞれの思いがある。しかしどの親にも通じるのは子供が愛しい、それだけである。私たち子供の一挙一動に涙し、笑い、日々気にかけてくれているのだ。
どんな場面で言われたのかは忘れたが、あるとき父が「たとえどんなに研究がうまくいっても、家族がごはんもろくに食べられずにすさんだ表情をみせるようになったら意味がない」と私につぶやいたことがあった。寡黙でめったに自分の感情を言葉に乗せない父が、こんなにも愛のこもった言葉を贈ってくれたのだ。あのときの感動を、私は『親のこころ』を手に思い出していた。
無条件の味方などありえないのだ。甘やかすだけでは、子供は育たないのである。逆に、私の言うどんなことでも丸呑みにして、無条件の味方となるような両親には、愛情が感じられない。社会へ出て行けば優しさだけで迎えられることは決してないのだ。そのことを、両親は常に自らの行動で教えてくれる。無条件で味方となってくれるより、ずっと私を思っての行動なのだ。
どんなに成功した偉人も、その親がなければ何もできなかっただろう。また、親がいたからこそ、その「こころ」を知ったからこそ、彼らは努力しようとも思えた。だから私も親孝行の娘になりたい。その親孝行の中に勉強が入っているのなら、今まで悩んできて、納得できなかった勉強の目的も、見えてくる。確かに両親のためである。しかし押し付けられているのではない。今までの恩返しなのである。