『親のこころ』を読んで、思ったことが2つありました。
1つ目は、ある青年のお話でした。その青年が一流企業の入社試験で社長に言われた言葉がありました。それは「君は今まで、親の体を洗ったことがあるかね」です。すると青年は、「いいえ、一度もありません」と答えました。私も小さいときは親と一緒にお風呂に入ったりはしたけど、体を洗ったことはありませんでした。その社長は「親の体を洗いなさい」と言ったのです。その言葉を聞いてよくわからなかったし、私だったら嫌だなと思っていました。
社長に言われたとおり、青年は親が仕事から帰ってきたとき、たらいを持ってきて親に「ここに足を入れて」と言いました。青年は左手で足の指を握りました。すると青年は手がうごかず、足にすがりついて声をあげて泣いてしまったのです。母親の足が棒のように固くなっていたのです。青年は学生時代に毎月送ってもらっていたお金を「当たり前」のように使っていたが、これほど苦労をかけていたと知らされ、泣かずにいれなかったのです。
私も親がかせいだお金を、当たり前のように使っています。でも足が棒になるほど苦労をかけていたとは知りませんでした。いつのまにかあたりまえになり、忘れがちになってしまったことが、親に申し訳ないと思いました。だからそれから、前よりもっと親にマッサージするようになりました。いつもありがとう、これからもがんばってねと感謝の気持ちを込めて。
2つ目は、水戸黄門として有名な徳川光圀の話でした。光圀の誕生日に豪華な食事を用意した家臣に向かって光圀は、「誕生祝いには、かならず白粥と梅干ひとつでよいというてあるに」と言いました。誕生日なんだから豪華な食事を食べればいいのに、と思った私は、この物語を読んでいくにつれて、自分の考えがまちがっていることに気づきました。
光圀を生んだ母親ひさ子が死んでしまってからずっと、光圀はかならず自分の誕生日は梅干と粥ですませていました。「誕生日は、この世に生まれた祝うべき日であるかもしれない。しかしこの日こそ、自分が亡き母上を最も苦しめた日なのだ。それを思うと、珍味ずくめでお祝いなどする気にはどうしてもなれぬ。母上を思い、母上のご苦労を思えば、自分はせめて1年中でこの日だけでも、粗末な料理で母上にご恩を感謝してみたい」と書いてありました。
こんなこと、私は思いませんでした。毎年誕生日にはお祝いとしてケーキを食べたり、外食をしたり、いつもより良いものを食べていました。でもその日は、母親が苦しんだ日。私は誕生日は祝う日とばっかり思ってたけど、苦しんだ日と思った光圀は、本当に親思いだと思いました。今は誕生日プレゼントとか買ってもらってるけどいつか、自分の誕生日がきたら「生んでくれてありがとう。おつかれ様でした」となにか物をあげれたらいいです。
この本を読んで、親のありがたみがすごくわかりました。お父さん、お母さんに毎日感謝しなきゃいけないと思わせてくれました。