大人は分かってくれない。分かろうともしてくれない。
多くの私のような子供はそう思うだろう。そりゃそうだ。かつては子供であった大人だって、大人としての日々を過ごし、大人として親として子供と付き合えば、自分がどう考えていたかくらい忘れてしまうのだ。
それでも、こうも分かってくれないものか。
子供向けの哲学書などを読むと「そうだよね、分かってくれないよね」というようなことが書いてある。私だけではないんだ、ちょっとしたなぐさめになる。
しかし納得できない。それじゃ、大人がどう考えるよう諭されるのか、そういう本を読んでやろうと思った。
そのとき興味を持ったのが『子育てハッピーアドバイス』だった。かわいいイラスト、大きな文字。これは読みやすい、と感心した。
でももっとボリュームのあるものが読みたい。そこから私は『輝ける子』へと進んだ。「100メートルを10秒で走れと言われてもさ、いっくら努力しても走れない奴っているじゃん」
響きのいいキャッチフレーズだ。そうだ、できないことはできないんだ。表紙からいきなり諭された気分だった。
明橋大二先生の本は、引用が上手いと前から思っていた。『なぜ生きる』は共著だったけれど、有名な歌手の書いた歌詞からの引用は、人生とは、と問うのにぴったりだった。そのぴったりの表現を探すために先生はたくさん苦労しただろう、と思うと同時に、分かりやすく書く努力をする先生に感謝したくなった。この「100メートルを……」というキャッチフレーズも、先生が出会うべくして出会った素敵な言葉だと思った。
表紙の感動を心に留め、私は目次を見る。
「凶暴な奴だと決めつけるのではなくて、この子なりにこうならざるを得ない生きざまが絶対にあったんだと、まず考えてみよう」
「自分は生きている意味がある、存在価値がある、必要とされている、という感覚を自己評価といい、これが大切」
「話を聞くときには、自分が話している時間より相手の話している時間が長いこと、これが最低条件」
「『がんばれ』という言葉は相手を選ぶ。それより、『がんばってるね』と言うほうがいい」
そうそう、それそれ。なんだ、大人って結構分かってるじゃん。声に出して言ってみる。
もちろん目次だけではない、本文には作者である先生の体験や熱い思いがギッシリ詰まっていた。これだけ分かっている人が、これだけ分かりやすく書いてくれているのに、なんでまだ分からない人がいるんだろう。
特に心に残ったのは、自己評価と、親との語らいの時間を持つことだった。
私には4歳の妹がいる。最近何かと私にたてついてくる。「お姉さんなんだから妹とやりあっちゃだめ」と言われると、それも分かるのだけれど、こっちだって学校でのこと、受験や将来について考えてストレスを抱えている。それを、時間を見つけて親に話せればいいけれど、妹はそこまで邪魔してくる。たまに親と話せると、感動して泣けてくるくらいだ。
さらに、妹は勉強しているそばで大声で歌う。むかつくムカツク……そんなモヤモヤが溜まりに溜まるとつい怒鳴ってしまう。そうして私が怒られる。否定された、全否定された。そんな気持ちになる。当然親とも険悪なムードになる。
最近ではたまに、特に付き合いの難しい母と「平和協定」を結ぶ。怒って、怒られて、お互い無視して、しばらくして協定を結びなおす。そんなときには母と握手する。母の手のぬくもりを感じると、また泣けてくる。ぬくもりを感じただけで「ああ、認められているかも」と思えてくる。賞を取ったとか、成績がよかったとか、そういう評価ではなく、私が私であることを肯定された気分になるのだ。
『輝ける子』を読んで、私は、自分が必要としていることを、明橋先生が全部書いてくれていると気付いた。「平和協定」を結びなおしたりする必要はない。母の目の前に『輝ける子』を置いて、一言「読んで」と言えばいいのだ。この本さえ読めば、私の気持ちが分かるよ。全国の大人たちに言いたい。