食卓で、ティッシュを手にポロポロ涙を流しながら『親のこころ』を読んでいる母を見た。とても、びっくりした。
私に気付き、本を閉じた母は「とても良い本なのよ」と照れて笑ったが、びっくりしていた私は「そう」と答えただけで、冷蔵庫からお茶を取り、台所を後にしたが、気になって仕方がなかった。
2日後、母は朝から出掛けて行った。夏休みで家にいる私のために、お昼も作り終えて、「チンして食べてね」と言った。
「1人は淋しい」。そう思った時、「あっ、あの本」と思い出し、本棚から取り出した。『親のこころ』、題名は、高校生の私には難しそう。「子のこころ」ならよく分かるけどね、などと考えながらページを開いた。
この本の最初「はじめに」の文章で、もう涙があふれてしまった。
『親のこころ』、それは「子が親を想う心」がつづられた本でした。この本を手にしていなければ、私も「はじめに」に出てくる青年のように、何も考えず気付かず、年を重ねていたのだろうと思います。
まだ30代の母は、人にはまるで姉妹のようだと言われ、喜んではしゃいでいます。
しかし、家での私は、すべて母まかせ、何もしなくても1日が無事終わるのです。本当に姉妹なら分担しているはずなのに。私は今までそんな風に考えたこともなかった。
いつもきれいな部屋、アイロンのかかったシャツ、毎日のお弁当、考えてみればその1つ1つがすべて母の愛情なのです。勝手に部屋がきれいになるはずもなく、シャツが自分で折り目をつけることもない。外で揺れている洗濯物も、早起きした母が干していったもの。チンするだけでお腹を満たす今日のお昼ご飯も、母が私のために作ってくれたもの。
そんな風に考え始めると、もう、母が恋しくて恋しくて、早く帰ってきてくれないかと、そればかり思うのです。
読み進めながら、子供の頃の思い出がよみがえる。いつも発熱ばかりする体の弱かった私を母は寝ずに看病してくれた。目を開けると母が「どこか痛い?」とすぐ尋ねる。泣き虫の私をいつも抱き上げ、しっかりと抱きしめてくれた。それが当たり前だった。今も、そう思っているのかもしれない。それなのに私は、母が寝込んでも、夜になれば「おやすみ」と寝てしまう。考えれば考える程、自分がふがいない存在に思えて悲しくなった。
本を読み終え、洗濯物を取り込み、アイロンをかけてみた。暑い日のアイロンは嫌だなと思いながら、それを毎日、感謝されることなくこなしている母の姿を思った。
私が新聞を取ってくると「ありがとう」と言う母。ゴミを近くのゴミ捨て場に持って行くと「ありがとう」と言う母。なのに私は母に言っていない。「感謝しなさいよ」って怒っていいよ、と泣きたくなった。
母が帰って来て、洗濯物がたたまれ、アイロンがけが済んでいるのを見て、とても驚いて「ありがとう。うれしいー」と抱きついてきた。また「ありがとう」と母は言った。いかに私が何もしていないかが分かる。「いいよ、ありがとうなんか」と言いながら涙が出てきた。
母はびっくりして「どうしたの」と叫んだが、この本を見せたら納得したように「いい本だったでしょう?」と聞いた。私は頷きながら「いつもありがとうね。大好きだよママ」と泣きながら言ったので、よく伝わったかどうか知らないが、しばらく2人で大いに泣いた。今、思い出すと2人で子供のように大泣きしておかしいと思うけれど。
その日は、母の少女時代の話を聞いて過ごした。母は話の最後に、「ママも、大切に大切に愛されて育ててもらったのに、ずっと気付かずに『ありがとう』が言えなかった。そして『ごめんね』も言えなかったし、『愛しているよ』も、何も言えなかった。なのにママは言ってもらっちゃって世界一の幸せ者だ。世界一の親不孝者なのに」と涙を落とした。
「おじいちゃん、おばあちゃんがママをとても愛して育ててくれたから、その愛が今、私の周りに満ちているんだね。そして私はその愛を未来へつなげていくからね」と祖父母に心で語りかけた。
『親のこころ』を読み、私は少し大人になれたように思います。両親はもちろん、祖父母にも感謝の心が芽生えました。本の最後に「六十億の子に六十億の母あれど、わが母に勝る母なし」とありましたが、その通りです。私の母に勝る母はいないと言いきることができます。
忘れっぽい私は、親不孝者にならないよう、この本を目立つ所に置こうと、今、考えているところです。