「100メートルを10秒で走れと言われてもさ、いっくら努力しても走れない奴っているじゃん」
このフレーズの表紙が目に飛び込んできた時、私は書店で小さくうなずきながら、こう独り言を言った。「うん、いるいる。私、私……」と。
事実、私は小さい頃から何をやらせてもどんくさい子供であった。中でも、図工や体育や家庭科における不器用さは大変なもので、図工でダンボールを切っていても自分の足を切ってしまったり、バレーボールの対抗戦でも、サーブは入らない、レシーブはできないの連続、そして家庭科のミシン縫いでも、手と足のタイミングがうまく合わずでいっこうに作業は進まなかった。
ただ一つ言えるのは、そのどれもが、自分では真剣に取り組んでいながらの結果であったという点だ。さぼっていた訳でもない。ボーッとしていた訳でもない。けれども、いつも何一つとして満足にこなせなかった。そしてそんなダメな自分に対する周りの冷やかな視線が、正直恐ろしくて仕方がなかった。
「私には、何のとりえもない」「何で私って何をやらせてもダメなんだろう」。いつしか自分自身まで、自分を否定的に見るようになっていた。ちょうどこの頃くらいからだろうか、本書『輝ける子』16章で紹介されていた「どうせ私なんか」が口ぐせになっていた。つまり明らかに自己評価が下がっていたのである。今ならば苦手なことも、ちゃんと周りの人に話すことができるのに、当時の私は、努力してもできないことが多すぎたため、そんな自分が恥ずかしくて、無理に苦しい気持ちを押さえたり、いい子を演じようと努力していたのだ。
そのため当時のことを思い出しながら読み進めていく度に、明橋先生の言葉が胸にスーッと入ってきた。苦しかった思い出が、洗い流されていくような気がした。先生の言葉が、弱っていた私の心にパワーを与え、そして今度は、今私が置かれている「教師」としての立場に喝を入れてくれた気がする。
「先生の言葉で、深く傷つく子どもがいるのもまた事実です」。 胸に突きささる言葉だった。私は自分が受けて「つらい」「嫌だ」と思っていたことを、今自分の目の前にいる生徒たちに投げかけてはいないだろうか。そんな自問自答をしながらの24章~28章であった。
子どもたちは、本当に日々よく頑張っていると思う。大人の社会が大変なのと同じくらい、子どもたちも毎日、子どもの社会を全力で駆けぬけている。まさに「頑張っているね」に値する毎日だ。そんな中にあっても、周りへの心配りを忘れない「輝ける子」がたくさんいる。部活を終えてクタクタなのに、遠まわりしても欠席連絡を届けてくれる優しい子。毎日、みんなが気づかないうちに学級文庫の整頓をしてくれる子。自分だって体調が悪いはずなのに、廊下で会うと「先生、大丈夫? 無理したらあかんよ」と笑顔で話しかけてくれる子等々。幸せなことに、私は教師でありながら、この輝ける子たちに今なお支えてもらっているのだ。
正直言って、こんな自分が、人に何かを教える立場の人間になれるなんて少しも思っていなかった。夢ではあった。子どもたちに、自分にできるどんなささいなことでも伝えることができたら、なんて素晴らしいだろうと憧れてはいた。しかし、自分のどこを振り返っても伝えられるような才能は全くなかった。夢がどんどん遠のいていくのを、ただじっと我慢しているだけの自分がそこにいた。
「自分の存在」「自分の居場所」……。この時、私が模索していたのは、明橋先生のおっしゃるこの2つだったのかもしれない。そして、今あの頃の私と同じように自分と向き合い、悩みながらも、輝こう、輝きたい、認められたいとがんばっている子どもたちがいる。
『輝ける子』を読みながら、私は、これまでの自分をもう1度見つめ直すことができた。今思えば、何をやらせても満足にできず、周りからけむたがられる自分というのは、正直悲しかった。けれど、私はある意味幸せだったのかもしれないと今なら言える。何でもでき、みんなから好かれ、苦しい思いをしていなかったら、教師にはなれなかっただろうし、今、目の前で苦しんでいる子の本当の気持ちは決して分からなかったろうと断言できるからだ。
あの頃の自分をそろそろ忘れてしまいそうになっていたこの時期、本書『輝ける子』に出会えたこと、そしてまた教師として、日々目の前にたくさんの「輝ける子」と出会えていることを大切にしながら、1つ1つの出来事を謙虚に受け止めることのできる、心豊かな人間をめざしたいと思う。
今、私の心の中は、『輝ける子』からもらった、たくさんのパワーで満たされている。心からのありがとうを何度でも言いたい。