『なぜ生きる』を読んで
「なぜ生きるんだろう?」
「なんで生きているんだろう?」
「何のために生まれて何のために生きて何のために死ぬんだろう?」
これは何度も何度も自分に問いかけてきた言葉です。
しかし、何度考えてもはっきりとした答えがでたことはなく、どこか絶対に落とし穴があるのです。
例えば、人生は死ぬまでの暇つぶしだから苦しいことも悲しいことも全てをもっと楽に考えていればいい。そんな風に考えたことがあります。
けれど「じゃあ暇つぶしに飽きたら死んでもいいんじゃない?」と聞かれた時、私は答えられませんでした。
たった14年ちょっとしか生きていない私に『人生とは何か』を問われても難しすぎました。
そんな私に、この本はとてもたくさんのヒントをくれました。
私なりに答えを出すところまでは、さすがにできませんでしたが。
それでも「生きる目的は〝よくぞ人間に生まれたものぞ〟と生命の歓喜を得て、未来永遠の幸福に生きること」という親鸞聖人の言葉には、今まで聞いたどんな『人生の目的』にも比べものにならないほど納得してしまいました。
けれども同時に、人生の目的としてそれを達成することが本当に、私でも可能なのか、という疑問がわいてきました。
それを達成しようとするのは、決して簡単なことではないでしょう。決して楽なことではないでしょう。それはわかります。
けれど本当に『永遠』はありえるのでしょうか。『幸福』は意外と簡単に崩れてしまうのではないでしょうか。私には答えをだすことができません。だせるだけの材料を持っていないのです。
でもいつか、自分自身で答えをだせたらいいなと思います。これは『人生の目的』ではありませんが、私なりの『人生の目標』の一つです。
話は変わりますが、私が納得したのはもちろんあの一つの言葉だけではありません。
死ぬ時は何も持っていけない。
今日が終われば、また今日がはじまる。
動物愛護を訴えるその人は、多くの動物を殺してる。
そんな当たり前のようでなっかなか気が付かない事実に強く心をうたれました。
それに、いいことをするのは礼を求めているから。
自分が安心するために自分を卑下している。
かりそめのやすらぎを守るために自分をあざむき、他人をだまし通している。
他人からの評価を常に気にしている。
自分さえよければ……
など他にもたくさんありましたが、全てに思いあたるところがあり、本当の自分が少しだけ見えたような気がしました。
汚なくて汚なくて本当に嫌になって、それでも私だけじゃなく他の人もそうなんだから、と思わず考えてしまう自分がもっともっと汚なく見えて、救いようがなくて。
それなのに自分のことだけ大好きで。私はエゴの固りです。
この本は、自分というものを見つめ直す、本当にいい機会となりました。
それでもきっと今回私が気付いたことは、全体から見れば、ほんの一部でしょう。
私は色々なことにもっと気が付き見つめ直し、そして考えていかなければ、と思いました。
ゆっくりゆっくりと考えていこうと思います。
一寸先は闇ですが、きっと考える時間はまだたっぷりあるでしょうから。
いえ、あることを信じていますから。
そう、私は、私たちは生きているのですから。
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