保育園での楽しいはずのイベントが…
子どもが保育園に入園すると、親から離れたところで、どんな生活を送っているのか、どんなことを学んでいるのかが分かりません。その成果が披露されるのが、生活発表会や運動会などです。
家族にとっても一大イベントであり、子どもの成長が見られる晴れの舞台です。
私も、主人の両親を招待し、ワクワクしながらその日を迎えました。
ところが、生活発表会の本番の舞台で、息子はそっぽを向いて突っ立ったまま、先生が声をかけても知らんぷりをしていたのです。
両親の手前、体裁も悪く、恥ずかしい思いをしました。子どもに「がんばったね」とは言えず、なぜやらなかったのか、問い詰めたことを覚えています。
このときは、何か子どもに事情があったに違いない、と思っていたのですが、運動会でも、息子は他の子が一生懸命、演技をしている中、一人泣いたまま立ち尽くしていました。
「ああ、またか」と息子に落胆し、応援に来てくれた両親への申し訳なさ、恥ずかしさで一杯でした。
皆が「がんばったね」と笑顔になるイベントは、私たち親子にとっては、苦痛でしかありませんでした。
両親からの否定がさらに親子を追い詰める
こんなことが重なったうえ、息子は「わがままを通す」「かんしゃくを起こす」ことが多かったため、義理の両親からは、「甘やかすから、わがままになるんだ。こんなことではダメだぞ」と言われました。
私の両親からも、「親が甘いからね。もっと厳しく、叱りつけないと」と言われ、親子ともに否定されていきました。
自分自身でも、私の育て方のせいだ、子どもに甘いせいだと否定するようになり、追い込まれ、楽しかった子育ては、だんだんとつらいものになっていきました。
わがままやかんしゃくは、親が甘やかしているから?
子どもが発表会や運動会で動けなくなるのは、わざとではないし、親が甘やかしているからでもなく、子どものひといちばい敏感な特性のせいです。
誰に責められる必要もありません。
集団生活になじめないのも、特性のためです。
準備をし、少しずつ慣れていけば、環境になじんでいくし、年齢とともに順応していけます。
たとえ集団になじめなくても、その子に合った環境はいっぱいあります。
子どもが発表会などの場で、動けなくなる、力を発揮できないのは、わざとではありません。親が甘やかして育てているから、わがままで弱い子になったのでもありません。
HSC(ひといちばい敏感な子)特有の「刺激を受けやすい」という特性からなのです。
たくさんの知らない大人が集まり、注目を浴びる。いつもと違う緊張感。大きな音の鳴り響く運動会で、圧倒され、過剰な刺激を受けて、動けなくなってしまうのです。
子どもが悪いわけでも、親が悪いわけでもない
それを知らなかった私は、息子を責め、嫌がる息子を何とか参加させようと、無理じいをしました。
他の子と同じにできないことで、息子を大声で怒鳴ったこともあります。知らなったとはいえ、息子のつらさ、気持ちに寄り添えず、どんなにつらい思いをさせていたかと今は思います。
自分はこんなに頑張っているのに、子どもは喜んでくれないし、相変わらず人見知りで「普通の子と違う」という場合は、悪循環に陥っているのかもしれません。
子どもを心配し、自分の理想に近づけようとしても、思いどおりに動いてくれない(というよりも動けない)。すると、さらに心配になって頑張りに拍車がかかる。結果的に、親子で「ああ、またできなかった」という気持ちを味わうのです。
本書の初めのアドバイスを思い出してください。他の子と違うのは、わざとではないのです。子どもが悪いわけでも、あなたが悪いわけでもありません。
(エレイン・N・アーロン著・明橋大二訳『ひといちばい敏感な子』より)
人一倍敏感な、素晴らしい個性を大切に
発表会や運動会が苦手でも、息子には素晴らしいところがたくさんあります。友達や家族の悪口は絶対に言わない、他人のせいにしない、優しいところがあります。
私の叔父が亡くなったとき、年に数回しか会わなかった叔父のために、息子は声をあげて泣きました。
私が疲れた顔をしていると、「お母さん、大丈夫?何か手伝おうか」と、スッと言葉をかけてくれる優しい子に育ちました。そして、今は私の頼れるよき相談相手です。
他の子と違ってもいいのです。それぞれ素晴らしい個性を持っています。
子どものつらさ、気持ちに寄り添い、一緒に乗り越えていくことで親子の絆は深まります。
たとえ苦手を克服できなくても、子どもに合った環境を選び、子どものペースに合わせた子育てをすることで、親子ともに幸せになれます。
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