職場でも学校でも、自分とタイプや性格が全く違うという人は、必ずいると思います。
その人と打ち解けようと思っても、なかなか意見が合わずに仲良くなれない…。
そんな人と、どう付き合っていけばいいのでしょうか。
登場人物
真理子
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中2の娘と小4の息子を持つワーキングマザー。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」に参加しはじめる。 |
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智美
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在宅でデザインの仕事をしている主婦。真理子から「仏教塾いろは」を紹介してもらった。 |
塾長
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仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。店長とは旧知の仲。 |
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次の休みの日、PTA主催の子どもの行事をやるんですけど、お母さんたちの中で意見がバラバラで…。
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分かる~。だいたいそういう話し合いって、もめて何時間もかかっちゃうのよね。
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そうなんです!みんなに気をつかって、神経をすり減らしてしまうんです。
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同じ母親同士でも、タイプによってグループができたりして、けっこう付き合いしんどいわよね。
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違うタイプの人とは、なかなかうまくいかなくて…。このまま、ぎくしゃくするのも嫌だし、どうしたらいいんでしょう?
みんなお互いを理解し合えなくて悩んでいる
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人間の違いについて、仏教の観点からお話ししますね。
同じ人間であっても、違いがありますよね。
たとえば、男性もいれば女性もいます。
同じ主婦といっても、仕事をしている人もいれば、専業主婦の人もいます。
それぞれ好きな芸能人も違えば、趣味も、料理の味付けの好みも違いますよね。
自分がいいと思っても、相手には受け入れられないこともありますし、こうしたら喜んでくれるだろうと思っても、あまり関心を示されないこともあります。
また、これくらいのほうがいいだろうと思ってやったことでも、「こんな少ししかしてくれなかった」と不満に思われることも、残念ながらあります。
日々、そんなことばかりで神経をすり減らしている人も、たくさんいるのではないでしょうか。
夫婦であってもそうです。
子育ての考え方、食べ物や風呂の熱さ、テレビ番組の好みまで、みんな違います。
お互い、まったく違う環境に生まれ、育ち、大人になったのですから、考えてみれば当然なことです。
ですから、どんなに仲の良い夫婦であったとしても、ケンカは避けられません。
「男は47、女は48の歯車でかみ合っていて、どこかでかち合うことがある」と昔からいわれます。
どこかで二つの山がかち合うことがあり、どちらかがお詫びを入れて折れればいいですが、かち合ったままでは進まなくなってしまいます。
何もかも合う人は、本当は1人もいない
仏教では、私たちは皆、一人一人の「業界(ごうかい)」に生きていると教えられます。
業界とは、アパレル業界とか、IT業界という業界(ぎょうかい)ではなく、業(ごう:行い)の生み出した世界ということです。
私たちは日々、いろいろなことをしています。
食事をしたり、テレビを見たり。職場で仕事をしたり、家で子育て、料理、洗濯などの家事をしたり。
たまの休日には旅行に行ったり、本を読んだりと、実にさまざまなことをしています。
それら私たちの行い(業)は力となって、私たち一人一人の永遠の生命である「阿頼耶識(あらやしき)」といわれる心に残るのだと、仏教では教えられます。
朝から晩までやっている私たちの行いは、千差万別、十人十色ですから、それぞれの阿頼耶識に蓄えられた業によって生み出された世界もまた、一人一人皆異なるのです。
ですから、たとえ同じものを見たとしても、認識は人それぞれだといわれます。
お経には、一つの「水」を見ても、
- 魚は住み家と見る
- 餓鬼(がき)は炎と見る
- 天人は瑠璃(るり:宝石)と見る
- 人間は飲みものと見る
と、同じ水を見ても、見る立場によって四通りの見方がある、と説かれています。これを「一水四見(いっすいしけん)」といわれます。
同じ人間でも、例えば千円札一枚を見ても、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人と、立場によって価値観がだいぶ変わりますよね。
また、子どもを見ても、親から見れば大事なお子さんですが、隣の奥さんから見れば、近所の子どもの一人です。
同じ高校でも、中学生から見る高校と、卒業した大学生から見た高校とはまったく違うでしょう。
同じように、私たちは一人一人、過去にやってきた行いが違うので、一つの物事に対する見方、感じ方、それに対する反応も千差万別、全く変わってくるのです。
人はそれぞれの生み出した世界に生きている
ですからお釈迦様は、
独生独死 独去独来
意味:すべての人は生まれてから死ぬまで、独りぼっちである
と説かれています。
これは、「独り生まれ独り死し 独り来りて独り去る」と読みます。
生まれてきたときも独りならば、死んでゆくときも独り。独りで来て、独りで出てゆくということです。
「いいえ、私には家族もいるし、友達もいます。独りじゃありません」と言われる方もあると思いますが、これは肉体上のことではなく、心のことです。
どれだけ温かい家庭に恵まれ、友達や恋人がそばにいても、「独り」とはどういうことでしょうか。
それは、私の心の内を本当に分かってくれる人はいない、ということです。
もちろん、この人になら何でも言える、話せる、という友達はありますが、それは言えるところまで、話せるところまで、であり、限界があります。
一緒に会話をしていて、あるいは、食事をしたり、テレビを見たりしていて、心に思ったことをすべて言えるでしょうか。
これはだけは絶対に口に出せない、という心があるのではないでしょうか。
「ふたりぼっち」という言葉があります。
お互いに好き合って、つき合っている仲の良さそうな二人。
外から見ると本当に仲が良くて、心が通じ合っているように見える二人でも、近づけば近づくほど分かり合えない、並行線であることが知らされる、ひとりぼっちならぬ、ふたりぼっちということです。
元来人間とは、それぞれの生み出した世界にそれぞれが住む、お互い本当に分かり合うことのできない者なのだと、仏教では教えられています。
まずは「お互い分かり合えない存在」と知る
「違うタイプの人とは、なかなか仲良くなれない」という悩み相談でしたが、いかがでしょうか?
2600年前のお釈迦様は、初めからお見通しだったんですね。
ですから、まずは分かり合えない存在であることをよく知ることが大事です。
そのうえで、お互いの違いを尊重することが大事です。
タイプの違う人だなと思ったら、会話をして、よく観察してみてください。
きっと自分にはない、良いところがあるはずです。
新しい発見があると思います。
その相手の良いところをほめて、相手とつき合っていったなら、きっとあなた自身も大きく成長することでしょう。
分かり合おうとする努力はもちろん大切ですが、全く違う二人が、すべて分かり合うことは、ほぼ不可能といっても過言ではありません。
仏教では、一人一人違いがあるままで、すべての人が幸せになれる道を教えられています。
続けて仏教を学ばれたら、きっと素晴らしい人生が待っていると思います。
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「どんなに親しくても本当に分かりあうことはできない」って、深い視点を教えてもらった気がします。
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それなのに、「分かってくれない」「あの人理解できない」って考えるから、苦しむのかも…。
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違いがあって当然と思えば、うまく付き合っていけそうです!ありがとうございました。