『源氏物語』はマンガや映画、舞台でもよく取り上げられている古典ですね。
「こんな、あってはならぬ恋、亀裂の入った友情の行方は、いったいどうなるのだろう?」
「登場人物の人生は報われるのだろうか…」
と、ハラハラドキドキの物語の世界に吸い込まれていった、という方も多いのではないでしょうか。
『源氏物語』の作者・紫式部はどんな人?
『源氏物語』は1000年前、紫式部という女性が書いた世界最古の長編小説です。
有名な日本文学研究者、ドナルド・キーン氏は、
「どの時代の人も理解できる普遍性のある作品で、世界文学の古典だ。日本の宝だ」
と絶賛しています。
『源氏物語』の英訳では2人めになるエドワード・サイデンステッカー氏は、『源氏物語』を世界中に広めた人ですが、紫式部を
「妻にはしたくないけれど、千年に一人の才女」
と評しています。
確かに式部は漢籍(漢文で書かれた書籍)、音楽、和歌などに深く通じていました。
作品の中に引用されている漢文は、あまり有名ではないけれどもその場面にぴったり合っている、ということもよくあるそうで、漢学者は、彼女はどこまで読破していたのかと感嘆せずにおれない、と言います。
また、式部は琴の手ほどきもしていました。
当時の学問、技芸のどんな分野でも師になれた人である、と評価する人もあります。
『源氏物語』が今も愛される理由
一方、日常の生活では普通の女性だったようですね。
夫の浮気には歯ぎしりして怒っています。
3年も経たずに、突如夫と死別の憂き目に遭ったときは、立ち直れないくらい打ちのめされました。
このことが『源氏物語』執筆のきっかけになったといわれます。
その後、宮仕えに出ますが、周囲の人たちとうまく付き合えず、半年ほど引きこもったこともあります。
こんな親しみやすさもさることながら、私は人生を深く凝視し、一人一人の人物に真摯に寄り添う紫式部に魅力を感じました。
次のような歌があります。
いずくとも 身をやるかたの 知られねば 憂しと見つつも ながらうるかな
(『紫式部集』より)
「憂し」とはつらい、苦しいということですから、式部は人生を、「憂し」と思いながら生き永らえるしかなかった、と言っています。
「そんな苦しい人生、なぜ生きる?」
「どこに向かって生きればよいのか分からない」
と胸のうちをさらけ出したのでした。
これは自選の歌集の最後に、自ら置いた歌です。
彼女はこの大きな問いかけを根底に持って、華麗かつ繊細優美なドラマを展開させていったのです。
次回から、物語の大まかなあらすじに沿って、感じ、知らされたことをお話していきたいと思います。
源氏物語全体のあらすじはこちら
源氏物語の全体像が知りたいという方は、こちらの記事をお読みください。
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