紅鼻の末摘花
光源氏18歳の春、末摘花(すえつむはな)という女性とも出逢っています。
希代の醜女で、象のような鼻の先は紅く、とてつもなく長い顔!
しかも頑固で機転は全く利かず、センスも悪い…。
光源氏は驚き失望しますが、生活の面倒は見よう、と思います。
末摘花はその後、どうなったでしょうか?
こちらの記事で紹介しています。
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さて、光源氏18歳の初冬、父の桐壺帝は、先帝の長寿の賀宴のリハーサルを宮中で催しました。
懐妊中の藤壺を慰めるためです。
紅葉が美しい頃でした。
光源氏は親友の頭中将とともに「青海波(せいがいは)」を舞います。
入り日の光に照らされ、藤壺を想って袖を振る源氏の姿は、この世のものとは思えぬ美しさでした。
舞の合間の源氏の歌声は極楽浄土のカリョウビンガの声かと響きます。
皆が感涙する中、藤壺は、「源氏の子さえ宿していなければ心から楽しめたのに…」と複雑な心地でいました。
このあと光源氏が訪ねてきても、決して受け入れません。
藤壺の出産は年内かと思われていたようですが、年が明け、結局2月も10日を過ぎて、男子を出産しました。
藤壺は出産の苦しみに加え、夫である桐壺帝を裏切ったという罪悪感がのしかかり、このまま死んでしまいたい気持ちでした。
しかし、自分を弘徽殿女御(こきでんのにょうご)が呪っていると聞き、「死んで物笑いになるものか」と気力を振り起こすのです。
ちなみに弘徽殿女御は、光源氏の実母をいじめ抜いて死なせた妃たちのリーダーでした。
【紅葉賀(もみじが)の巻】美しいものは似るものよ
産まれた男の子は、光源氏に瓜二つでした。帝は、「美しいものは似るものよ」と大喜びです。
側にいる源氏の顔色は変わり、藤壺も汗でびっしょりになるほどいたたまれぬ気持ちになるのでした。
わが子を見た光源氏は、改めて藤壺への想いを訴えずにおれません。
それに対して藤壺はこんな歌を返しました。
袖濡るる 露のゆかりと 思うにも なお疎まれぬ やまとなでしこ
(密通で産まれた子と思うにつけ、やはり疎ましく思われるなでしこのようなわが子であるよ)
しかし、この歌の下の句は、
“それでもやはり疎むことはできないわが子であるよ”
という意味にもとれます。
昔から、「どちらが藤壺の本心なのか?」と言われてきました。
が、藤壺は、どちらにも揺れ動いて苦悩していた、と思われませんか?
雅な振る舞いしか見せぬ人々も、心の内では己の過去の種まきで、もがき苦しんでいる。
そのような内面描写が多いのも、『源氏物語』の特徴の一つです。
人物紹介:末摘花
容姿がみにくく、不器用で頑固、センスも悪い。
光源氏は親友の頭中将と争って彼女を手に入れたが、その容姿に落胆する。
皇族の生まれではあるものの、早くに父親を亡くし、困窮していた。
それでも父の言いつけを守り、光源氏を待ち続ける一途さがある。
末摘花について、詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。
源氏物語全体のあらすじはこちら
源氏物語の全体像が知りたいという方は、こちらの記事をお読みください。
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