こんにちは。国語教師の常田です。
美しさだけでなく、頭脳明晰で教養豊かという点でも抜きん出た光源氏ですが、今回は、凡人と変わらない、愚かな言動を繰り返します。
「須磨の巻」のあらすじを解説します。
私がこうなったのは誰のせい?
年が明けて、光源氏は26歳になりました。
昨年、帝が寵愛する朧月夜との密会を、彼女の父親・右大臣に発見されてから、不穏な空気が漂っていました。
権力は、源氏と敵対する右大臣側が握っています。
光源氏の官位はもぎ取られ、無位無官になりました。
このままでは流刑に遭うかもしれません。
源氏はその前に、自ら須磨(すま)に退くことを決意しました。
光源氏の正妻格として夫を支えてきた紫の上は、たいそう悲しみます。
「どんなひどい所でもご一緒したい」「命にかえても別れをとどめたい」と涙を流します。
でも、それも叶わぬことでした。
京を離れるに当たり、源氏は親しい人々に別れを告げて回ります。
「私の不徳の致すところで……」と言う彼の挨拶からは、反省のそぶりは見られません。
「過ちなけれど、さるべきにこそかかる事もあらめ」(罪に問われることはしていないが、こうなってしかるべき前世からの因縁だったのだろう)
と、朧月夜との密会にも、継母・藤壺との逢瀬にも、全く罪悪感がないのです。
どちらに対しても、光源氏から、場合によっては源氏自ら強引にしかけたことでしたよね?
ですが、「あなたのせいで私は謹慎の身に…」とほのめかします。
抜きんでて聡明なはずの光源氏が、あきれるばかりの愚かさを見せつけます。
須磨での暮らし、秋の寂しさ
やがて、愛する人たちを都に残し、光源氏の須磨でのわびしい謹慎生活が始まりました。
五月雨の頃は、親しんできた女君たちに手紙を書いて、心なぐさめます。
涼しくなれば、秋の夜長に目覚めて、寂しさにむせびます。
一方で、須磨の海人たちのなまりを通訳で聞くうちに、人間の喜びや悲しみ、怒りや楽しみは、住まいや身分に関わらず、皆同じなのだ…と知らされ、感動するのでした。
都の殿上人(てんじょうびと)たちからも、時々便りがあったのですが、それが大后の逆鱗に触れてからは、ふっつりと音沙汰がなくなりました。
そんな中、親友の頭中将が、須磨まで訪ねてきたのです。
大后に須磨訪問が知られれば、罪に問われかねません。
「それでもかまわぬ。源氏を見捨てることはできない」という覚悟でした。
彼の友情が身にしみ、光源氏は泣かずにいられませんでした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ところで3月初旬のよく晴れた日のこと。
「悩み事のある人は今日、祓(はら)いをするとよい」と言う者がいました。
将来が見えず、沈んだ日々を過ごす源氏はその気になって、陰陽師(おんみょうじ)を呼び、海辺で祓いを始めます。
実にのどかな日和でした。
ところが、祓いの途中で、前触れもなく空が真っ暗になり、突如、暴風雨になったのです。
海面が、光でみなぎるほどの稲妻がひらめきました。
しかも次の夜からは、夢か現か、源氏の寝床の周りで怪しい物がはい回るようになります。
日を経ても、暴風雨は止みそうにありません。
その中を、都から紫の上の使者が、ずぶ濡れになって到着しました。
京でも同様の異常気象が続いているというのです。
厄除けを行っても事態は変わらず、政治もできない状況といいます。
光源氏はこれらの状況を打開すべく、住吉大社の神に祈願しました。
しかし、やはり暴風雨は少しも収まりません。
それどころか、源氏の寝所近くに雷が落ち、廊(ろう)が焼け、炎は空高く燃え上がり、人々の泣き叫ぶ声は、雷鳴に劣らなかったとか…。
落雷炎上の騒ぎの夜、仮の寝所で源氏がまどろんでいると、亡き父が夢に現れ、「ここを早く立ち去れ」と命じます。
時同じく、須磨の浦に、小舟を漕いでやって来た者がありました。
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※殿上人:宮中で身分の高い人々
※陰陽師:占い師
※廊:家屋と家屋を結ぶ渡り廊下のようなもの
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