祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。
あまりにも有名な『平家物語』の冒頭です。
『平家物語』は、NHK Eテレの番組『100分de名著』の「5月の名著」に選ばれています。
原典は、12巻もある長編のため、最後まで読み切った方は、少ないのではないでしょうか。
今回は、意訳で楽しむ古典シリーズ『美しき鐘の声 平家物語(一)』から、著者不明でありながらも、現代まで語り継がれてきた大作の魅力に迫りたいと思います。
地下人だった平家が発展したワケは?
平家といえば平清盛。平家の繁栄は、たったの20年でしたが、彼は、なぜ太政大臣まで上り詰め、天皇をも意のままに動かすことができるようになったのでしょうか。
平家は清盛の父、忠盛(ただもり)の代には、西日本の海上の流通経済網を独占し、富を築いていました。
当時、武士は天皇や貴族から「地下人(じげにん)」と呼ばれ、さげすまれていました。
忠盛は、「大きな寺がほしい」と言った鳥羽上皇の願いを叶え、巨額の財を使って寺院を建立したことで、上皇に気に入られ、「殿上人(てんじょうびと)」の身分を獲得したのです。
経済力があれば、軍備の充実も図れます。
忠盛の跡を継いだ嫡男の清盛は、保元の乱、平治の乱を勝ち抜いて、ついには藤原家に代わって朝廷の実権を握り、日本の半分近くの国を支配するまでになったのです。
「平家にあらずは人にあらず」は誰の言葉?
平家のおごりといえば、「平家にあらずは人にあらず」の言葉が思い出されると思います。
これは、清盛のセリフと思っている人も多いかもしれませんが、実は清盛の妻の弟、平時忠(ときただ)の言った言葉です。
されば入道相国のこじゅうと、平大納言時忠卿ののたまいけるは、「この一門にあらざらん人は皆人非人なるべし」とぞのたまいける。(巻第一 禿髪)
権力を握った平家を、当時、非難中傷する者はありませんでした。
それは、清盛が、一切の批判を封じ込める策略を用いたからです。
300人もの少年を密偵として雇い、平家を悪く言う者があれば報告させました。
捕らえられた者は、家財を没収され、平家の六波羅蜜の屋敷へ引き立てられていったのです。
平家の繁栄を決定づけたものは
平家が政治を思いのままに動かせるようになったのは、ある出来事からでした。
それは、高倉天皇の即位です。
8歳の新天皇は、母親が清盛の妻の妹。つまり、清盛の甥にあたります。
高倉天皇が即位したことによって、平家はついに、天皇の外戚(母方の親族)という立場を得たのです。
新天皇の父、後白河上皇は、出家して法皇と呼ばれるようになっていましたが、「清盛の思い上がりはもってのほか」と不満を持っていました。
その後、左大将という名誉職をめぐって、貴族の間で争奪戦が繰り広げられます。
任命されることを期待していた大納言藤原成親は、清盛の次男が就いたことで、出世を越されたと激怒します。
平家打倒を企てた成親は、自分と同じような不平・不満を持っている者を集め、密会を重ねていきました。
ところが成親の陰謀は、やがて密告により清盛の知るところとなり、関わった者の身辺では、悲劇が次々と起こります。
物語はまだまだ前半ですが、平家の繁栄の陰にも、さまざまな諸行無常・盛者必衰のドラマが描かれているのが、『平家物語』なのです。