こんにちは。国語教師の常田です。
光源氏は、持てるすべてを活かして、地位や権力を求めていきます。
でも、なぜか満たされない。望みが叶っても、不安な心はなくならなかったのです。
今回は、「絵合の巻」「松風の巻」のあらすじを解説します。
松風の巻:明石の姫
源氏が都に戻って2年。その間に、明石の地に残してきた妻・明石の君は女の子を生みました。
初めての娘に、光源氏はもう躍り上がらんばかりの喜びようです。
当時の貴族は男子よりも女子を望みました。
娘が帝の妃となって男の子を生み、その子が帝になれば、祖父として最高の権力を手に入れることができるからです。
源氏は明石の君に何度も上京を促しますが、「田舎育ちの自分が都の人々と交わっていけるのか」と彼女は悩みます。
しかし、娘をこのまま鄙の地(都から離れた土地)に埋もれさせるのも、残念でなりません。
両親の勧めもあり、明石の君は都に近い大堰(おおい)に移ることにしました。
源氏はすぐにでも会いに行きたい気持ちです。が、最も愛し信頼している紫の上に対して、出かける口実が見つかりません。
明石の君は源氏の訪れを待ちます。
都に近いだけによけい寂しく、松風に合わせて琴をかき鳴らし、心を慰めるのでした。
やがて源氏は意を決し、すぐに嘘と分かる理由を並べて大堰に出掛けます。
嫉妬に苦しむ紫の上からきつい皮肉を言われながらも、ようやく明石の君との再会を果たしました。
3歳の娘(明石の姫)は想像以上に、愛らしい。
うち笑みたる顔の何心(いずごころ)なきが、愛敬づきにおいたるを、いみじうろうたしと思(おぼ)す
(明石の姫の、にっこりほほえむ表情があどけなく、愛嬌があって色つやのよいのが、光源氏にはかわいくてかわいくてたまらない)
邸に戻った源氏を迎える紫の上は、案の定、不機嫌です。
源氏は「明石の姫を養女として育てないか」と相談を持ちかけました。
実は、紫の上は大変な子ども好きでした。
ぜひ、自分の手で育てたいと受け入れます。
光源氏は、明石の君の心中を慮ると胸が痛みますが、身分の高い紫の上の養女になることで、姫の将来は約束されるのでした。
絵合(えあわせ)
さて、亡き六条御息所の娘は、源氏の養女となり、冷泉帝の妃になりました。
梅壺女御です。
13歳の帝にとって、9歳年上の梅壺は立派なお姉さん。どちらかといえば、同じ年頃の弘徽殿女御とよく遊び、睦んでいました。
弘徽殿女御は、源氏の親友・頭中将の娘です。
しかし、絵画の好きな帝は、次第に絵の上手な梅壺に関心を寄せていきます。
頭中将は、帝の心を再びわが娘に向けさせようと、優秀な絵師に立派な物語絵を作らせます。
源氏も対抗し、秘蔵の絵を梅壺に送りました。
2人のどちらが帝の寵愛を得るか。これは一族の盛衰をかけた、父親たちの覇権争いなのです。
うららかな春の夕べ、双方の絵を持ち寄り、ついに帝の前で絵合の勝負が行われました。
いずれもいずれも優劣は判じ難いものばかりでした。
ところが最後、梅壺側から、源氏の須磨の絵日記が出され、場の雰囲気が一変したのです。
源氏の侘しい生活の様子が思い起こされ、皆の涙を誘いました。
梅壺側が勝利を収めます。
源氏は今、全てが思いどおりで満ち足りた気分です。
でも、
「なお常なきものに世を思(おぼ)して、今すこしおとなびおわしますと見たてまつりて、なお世を背きなん」
(やはり無常の世の中だと思い、もう少し帝の成長を見届けてから出家しよう)
と深く考えているようでした。
人は山の頂上に登ることはできても、そこに長くとどまることはできません。
この栄華栄耀もいつまで続くのか。
望みが叶えば叶うほど、感ぜずにいられない不安な心…。
仏道一筋求めたいと、源氏は閑静な山里に仏堂を建立しました。
しかし、まぶたに浮かぶ子どもたちの笑顔に、決意は鈍ってしまうのでした。
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※「松風」という巻名は、明石の君が詠んだ「身を変へて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く」の歌からきている。
源氏物語全体のあらすじはこちら
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