こんにちは。国語教師の常田です。
弘徽殿大后は、源氏物語の中では悪女の典型として登場します。一方で、「言うことはもっともなことばかり」と評する人も。
あなたなら、どう味わいますか?
隠居の身の弘徽殿大后
弘徽殿大后は、光源氏の父・桐壺院の最初の妃で、朱雀院の母親です。
もうすっかり年を取って、隠居生活を送っています。
その弘徽殿大后のもとを、ある日、冷泉帝が源氏とともに訪ねてきました。
といっても近くで用事をすませたついでの訪問です。
弘徽殿は、
「今はこのように年を取って何もかも忘れてしまいましたのに、かたじけなくもこうして見舞いに来てくださったので、改めて昔の桐壺院の時代が思い出されます」
と泣きます。
あなたたちが来たおかげで、自分が最も輝いていた時代を思い出し、かえって今がみじめで悲しくなった、というわけです。
冷泉帝は、そんな継母の弘徽殿大后を立てながら、
「私は頼りにしていた母に先立たれて嘆いていましたが、大后様にお目にかかれて慰められました。これからは時々おうかがいします」
となだめます。
しかし光源氏は、
「次の機会は、今日のようなついでではなくうかがいましょう」
と取ってつけた儀礼的な挨拶だけでした。
弘徽殿を心配する気など、さらさらありません。
簡単な言葉を交わして、2人はあわただしく帰っていきました。
最高権力者として、わが世を謳歌する源氏の姿を目の当たりにし、弘徽殿の胸には苦々しい思いが広がります。
「ああ、あの男の天下を取るべき強運は、私の力では消せるものではなかったわ…」
桐壺の更衣をいじめ抜いた過去
弘徽殿と光源氏の30年にわたる確執。
その始まりは、源氏の母・桐壺の更衣の入内(じゅだい)でした。
大貴族の家に生まれた弘徽殿は、それまで桐壺院からも大切にされ、息子も生み、順風満帆な日々を送っていました。
ところが、自分より格段に身分の低い更衣に桐壺院の寵愛を独占されるや、状況が一変してしまいました。
元来、帝は公平に妃を愛すべきであり、身分の高い妃は重んじられるのが常識でした。
プライドも高く、勝ち気な弘徽殿は、桐壺院に怒りをぶつけ、行動に及びます。
桐壺の更衣の、行く手も帰り道も阻んで、廊下で身動きできなくしたり、廊下に汚物をばらまいて、そこを通って桐壺院と逢う更衣が、耐えきれぬ恥ずかしさで苦しむようにしたり…。
ありとあらゆる方法で、徹底して更衣をいじめ抜き、死に追いやりました。
弘徽殿の悪業の結果は
そして、更衣の遺児・光源氏や、後に入内した更衣そっくりの藤壺(冷泉帝の母)も敵視し続けました。
やがて、息子(朱雀帝)が帝位に就くと、弘徽殿が実質的に権力を握りました。
今度は、息子が寵愛する女官とのスキャンダルを理由に、光源氏を都から追放。隙あらば、藤壺・冷泉帝母子も追い落とそうとねらっていたのです。
こうして権力を振りかざし、気に食わぬ相手を徹底攻撃してきた結果はどうなったでしょう。
追放したはずの光源氏はわずか3年で帰京し、敵視してきた冷泉帝が即位すると、完全に形勢が逆転してしまいました。
帝の後見として威風堂々とした源氏に対し、晩年を迎えた弘徽殿には、耐えがたい悔しさとみじめさしかありません。
その後も弘徽殿は、
「私が勢い盛んだった頃に戻りたい」
とワガママを言っては息子の朱雀院を困らせ、表舞台から去っていきます。
弘徽殿についてより詳しくお知りになりたい方は、こちらの記事もご覧ください。
源氏物語全体のあらすじはこちら
源氏物語の全体像が知りたいという方は、こちらの記事をお読みください。
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