慕われる上司になるには?戦国武将に学ぶ上司と部下の人間関係
こんにちは、歴史から学ぶ人生ナビゲーターの木口です。
仕事に悩みは尽きませんが、中でも大きいのは人間関係ではないでしょうか。
大勢の人をまとめる立場に就いている人もあるでしょう。
そんなあなたは、職場の部下との人間関係はうまくいっていますでしょうか?
「部下が心を開いてくれない」
「後輩が何を考えているのか分からなくて、うまく人間関係を築けない」
「世代の違いなのか、新人がなぜそう考えるのか理解できない」
など、いろいろ聞こえてきます。
一昔前は「雑草魂でくらいついてこい!」みたいなところがありましたが、この頃それではうまくいかないでしょう。
指示さえすれば部下が思いどおりに動く、というものではありません。
人間ですから、感情があります。
思いどおりに動かないからと叱り飛ばしていたのでは、部下との人間関係はますます悪化し、慕われる上司像から遠ざかっていくでしょう。
その点、信長たちは個性豊かな部下たちとの人間関係をどうやって築いていたのでしょうか?
部下から慕われる上司の条件とは?
今日はこれを聞いてみましょう。
信長流!クセの強い部下をまとめるリーダーシップ
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本日は、部下の代表として、本田忠勝さんと黒田官兵衛さんにもお越しいただいています。
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黒田官兵衛と申します。秀吉さまに仕えております。
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わしは家康さまの家臣、本田忠勝じゃ。
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お二人をはじめ、皆さん、それぞれたくさんの部下がいらっしゃいますよね。
しかも、なかなか手ごわそうな。
部下との人間関係って大変じゃないですか?
皆さんは部下の皆さんから慕われていたと思うんですが、どんなことに心がけて人間関係を築いていたんです?
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まこと、クセの強い部下には難儀させられますなぁ。人間関係も大変でしたよ。
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お前、自分のこと棚に上げて何言ってるの。
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私は田舎者ゆえ、たいした財宝は持ち合わせていませんが、いざとなれば火の中水の中をいとわず飛びこむ忠義の部下が私の宝と思っておりまする。
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殿!よくぞ言ってくだされた!
我ら家臣一同、地の果てまでも殿のお供をいたしますぞ(涙)
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それに君子たるもの、部下の進言にはよく耳を傾けるべきと存ずる。
ときには、方針をめぐって家臣と言い争いをすることもありかと思います。 -
ふん! 部下に甘さを見せていたら付け入らせるだけよ!
上司の強力なリーダーシップこそ、チームワークの要諦じゃ。
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信長さんは、また違った考えをもってらっしゃいますね。
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そうだな。部下の心がバラバラでは話にならん。
心を一つにまとめて団結するチームをつくらねば。
そのためには、上司であるオレが部下たちに明確なビジョンを示すのが一番だ。
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明確なビジョンというと?
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たとえば“天下布武”よ。聞いたことあろう。
武力で天下を統一する、という意思表示だ。
手紙の印鑑としていつも使って、みなの意識にのせる。
つねにゴールを見せて部下の心をそこに向かわせるのよ。
才能がなくてもついてくる?部下に慕われる上司・秀吉の魅力
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ごもっとも! 信長様にはすばらしいリーダーシップがございます。
ところがワタシにはそんな能力も学問もありません。
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秀吉さんにはどんな心がけが?
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人には天分があっての、できることとできないことがある。
強さで部下をまとめるというのはワシには向かん。
ワシの場合は、不思議と向こうから部下が慕って集まってきてくれたのじゃ。
有難いことじゃ。
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秀吉さんが部下の皆さんから慕われたのはなぜなんでしょうね?
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なぜ? うーん、何でじゃろな?
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秀吉さまはご自分の魅力にお気づきでないようですな。
武士は自分のことを認めてくださる上司を慕い、一命を尽くすもの。
覚えておいでですか? 私が播磨の国で孤立無援になっていたときに手紙を下されたことを。 -
おー、そんなこともあったな。
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あの時は敵に囲まれ、苦しい時期でした。
だが秀吉さまは、『苦しいだろうが踏ん張れ、そなたのことは弟同様に大事に思っている』と何度も勇気づけてくださった。
ああ、この方のために尽くそう!と思ったのです。 -
ワシは自分には特別な才能はないと思っとる。
自分にできることは、才ある部下が存分に働けるようもり立て、その働きを認めることだけじゃ。
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部下が自分よりも才能があるって、何というか、悔しくはないですか?
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はっはっは、そんなことワシは気にせん。
ワシはただの猿じゃ。
信長とは正反対!温厚な上司・家康のリーダーシップ
「意見がまとまらない」
「いいアイデアが浮かばない」
「みんなの心がばらばらで人間関係がうまくいかない…」
そのように悩む場面は少なくありません。
そんな時、進むべき道を力強く示し、部下を引っ張る上司の決断が新たな道を切り開きます。
信長はまさに頼もしいリーダーでした。
「天下布武」というチーム全体のスローガンを示し、強力なリーダーシップで、当初ばらばらだった織田家を見事にまとめていきました。
さらには新兵器・鉄砲の導入、関税の撤廃など次々新しいことを打ち出し、部下をリードしていきます。
しかしその強力すぎるリーダーシップは、ときに皆が震え上がるほどの厳しさにもなりました。
それは、慕われる上司像とは違っていたかもしれません。
信長に会った宣教師は「信長の前では家臣はいつもビクビクして、顔をあげることができなかった」と記しています。
正反対なのが家康です。
「上司をいさめてくれる部下は、戦場の手柄より値打ちがある」と言っています。
信長のようなタイプの上司は、時に独断専行で周囲が見えなくなる危険もあります。
「何でも聞くよ」「自由に意見してくれ」というオープンな姿勢を示すことで、部下からも慕われるし、偏りのない意見が集まり、危険を未然に防ぐことができるでしょう。
だからこそ、家康は多くの部下から慕われる上司だったのです。
その数1万通!秀吉が部下から慕われる秘訣は手紙にあり
農民出身の秀吉には、もともとの家来は誰一人いませんでした。
にもかかわらず天下を取れたのは、優秀な部下が秀吉を慕い、集まってきたからです。
何がそれほど部下を惹きつけたのでしょうか。
そのヒントは、秀吉の残した手紙からうかがえます。
無学な秀吉は文字も十分には書けませんでしたが、生涯にわたって1万通近くの手紙を書いたと言われます。
そこには、部下の労をねぎらい、働きを褒める言葉が並んでいます。
戦いで負けて逃げ帰った部下にさえ、「あの状況で生きて帰れたのが何よりの手柄だ」と賛辞を送っています。
普通なら「なんてざまだ!」「こんなこともできないのか!」ときつい言葉を浴びせてしまいがちです。
しかし言われた部下はしゅんとするだけで、前向きにはなれません。
秀吉は、日頃から部下によく言葉を掛け、その働きを認めていたのです。
だからこそ、褒められた部下は心を開き、仕事にやりがいを感じ、「この人のために頑張ろう」と上司である秀吉を慕ったのでしょう。
それは仕事に必要なスキルというより、秀吉の性分であり、細やかな「気遣い」だったのではないでしょうか。
それが部下から慕われ、人間関係を築くことにもつながっていったのです。
後年、秀吉はある女中にこんな手紙を送っています。
「私が浪人時代、あなたは親しくして世話も焼いてくださいました。
そのことを今でも忘れず、ありがたく思っています。
病気になられたと聞き、心配になり手紙を書きました」
いかがでしょう。
日頃は雲の上と思っている人が、自分の健康にまで心を掛けてくれていると知れば、純粋に嬉しいのではないでしょうか。
こんな上司だったら、部下から慕われるのも頷けます。
まとめ
「ありがとう」「助かったよ」「大丈夫?」
ちょっとした一言で、どれだけ心が軽くなるかしれません。
ずっと以前に言われた言葉が今も心の支えになっている、という人も多いのではないでしょうか。
そのような上司・秀吉の細やかな気遣いあればこそ、部下たちから慕われたのでしょう。
部下に関心をもち、「信頼している」というメッセージを伝え、「ありがとう」を言葉に出して伝える。
部下から慕われる上司には、そういった共通点があることがわかります。
上司からの細やかなコミュニケーションが、部下との人間関係を潤滑にするのは昔も今も変わらないでしょう。
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ちなみに、天下布武って武装国家を作ろうとかそういうのじゃないからな!
みんなが豊かに安心して暮らせる国をつくるために、武力で戦国の世を終わらせるってことだからな!
参考文献
『信長・秀吉・家康の研究 上・下』(童門冬二)
『秀吉の手紙を読む』(染谷光廣)
『戦国武将の手紙を読む』(小和田哲男)
『戦国武将の手紙』(桑田忠親)