こんにちは。国語教師の常田です。
藤原道長と光源氏の人生は、重なるところがあります。今日は、道長はどんな人生を送った人なのか、紹介したいと思います。
『源氏物語』の意外なファン
「光源氏はモデルがあるの?」
そう問われてまず名前が挙がるのは、平安中期の最高権力者・藤原道長でしょう。
紫式部は、この道長の娘・彰子(しょうし)に仕えていました。
道長は『源氏物語』の熱心な読者の一人でした。
「おれの栄華物語を書かせるのだ」とばかりに、紫式部の部屋まで原稿の催促に行ったり、彼女の留守中に草稿を勝手に持ち出してしまうこともあったといいます。
ちよっと困ったファンですが、そんな道長の大きな支援があったからこそ、紫式部は五十四帖にもわたる大長編を書き進めることができたといえましょう。
今回はこの藤原道長についてお話します。
道長のサクセスストーリー
藤原氏は代々、帝の補佐役として権勢を振るってきました。
しかし、道長には何人も兄がいましたので、普通ならば権力を握れる立場ではありません。
ところが、道長30歳の時、思わぬ事態が巡ってきました。
疫病の大流行もあり、兄たちが相次いで病のために他界したのです。
残ったのは道長と、敵対する甥の伊周(これちか)でした。
ちなみに、伊周の妹は当時の帝(一条帝)の后・定子(ていし)であり、彼女に仕えたのが『枕草子』で有名な清少納言です。
当初は伊周が優勢といわれたトップ争いでしたが、一条帝の母で、道長びいきの姉の働きかけにより、道長が権力を手に入れました。
いくつもの因縁が重なって自分のものにした権力を、より強固にするため、道長はまず長女の彰子を一条帝に入内させます。
娘の生んだ子が後に帝となれば、外祖父として天下を思うままに動かせるからです。
藤原道長の全盛期
紫式部が仕えるようになった後、彰子は父の期待に応えて男子を出産します。
孫から小水をかけられて大喜びする道長の姿を、紫式部が日記に書き残しています。
その後も娘たちを次々と帝の后にし、血縁関係を強めていく一方で、都合の悪い者は容赦なく位から引きずり落としました。
失意と屈辱を与え、病や死に至るまで追い詰めるやり方は、彰子からも批判されるほどでした。
こうして3人の帝の外祖父となり、藤原氏全盛時代を築いたのです。
有名な「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」(この世のすべては私のものだ。満月に欠け目がないように、私の心も満ち足りている)の和歌は、絶頂の53歳の時に宴席で詠んだものでした。
道長の晩年
時同じくして、源信僧都(げんしんそうず)が活躍されていて、世に浄土仏教が広まりました。主著『往生要集』は大変有名で、貴族たちはこぞって読み、勉強会も開いていました。
中でも道長の、後生を案じ、極楽往生を求める気持ちの強さは格別だったといわれます。
この頃、貴族の間で寺院建立ブームになりましたが、多くは先祖供養が目的でした。
それに対し、道長が建てた寺院には”仏法を求める空間に”との配慮が光っています。
55歳で建立した法成寺(無量寿院)は、その最たるものでした。
現存しませんが、荘厳さは息子・頼通(よりみち)の平等院鳳凰堂をしのぐといわれ、
「極楽浄土のこの世にあらわれけると見えたり」
と歴史書『大鏡』には記されています。
当時の道長は、満月のような華麗な人生に陰りが見え、後生への不安が生じていたのでしょう。
還暦を迎えた頃には、2年間に4人の子供に先立たれ、自らの病気も悪化していました。
今までの栄耀栄華も泡沫
やがて道長は、法成寺で屏風を立てて人を近づけず、金色輝く阿弥陀如来像の前にひざまずいて、ひたすら念仏を称えるようになります。
息子が父の病気を治そうと加持祈祷を行おうとした時も、
「やめろ!祈祷したら恨むぞ。おれを悪道に堕とす気か。念仏だけを聞かせてくれ」
と訴えました。
62歳、いよいよ臨終を迎えた道長の姿が、『栄花物語』という歴史書に描かれています。
道長はずっと臨終念仏を続けている。後生のこと以外考えることはない。天下を意のままに動かしてきた手に、最期残ったものは、阿弥陀如来像の御手を通した五色の糸のみ。
満月は輝きを失い、道長は、一息切れたら行く先分からぬ真っ暗な心に覆われていました。
弥陀に極楽まで引っ張ってもらおうと、こんな儀式にすがるしかなかったのです。
人生の最期を迎えて、今までの栄よう栄華は、泡沫でしかありませんでした。
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