戦国武将が教える理不尽なワンマン上司への対応
こんにちは、歴史から学ぶ人生ナビゲーターの木口です。
「年間300万人超え」
何の数字かと思ったら、日本で1年間に転職する人の数だそうです。
転職の理由として多いのは人間関係なのだとか。
特に上司との関係に悩んでいる人は多いでしょう。
「いつも理不尽だし、言ってることがコロコロ変わるんだよなー」
「アドバイスはしないくせに文句はやたら多い(怒)」
「指示が曖昧で何を言いたいのか分からない」
など、よく耳にします。
また、「上司がワンマンで理不尽だから毎日ストレスがたまる」というのも多いようです。
上司と部下の関係は、戦国時代なら主君と家来。
信長はちょっとでも何かあると怒鳴りつける典型的なワンマン上司といったところでしょうか。
部下の皆さんは大変だったことでしょう…。
それでも秀吉は、理不尽なワンマン上司・信長にうまいこと対応していたようですね。
ワンマン上司・信長に対応する時、秀吉にはどのような心がけがあったのでしょうか?
理不尽な上司・信長に、秀吉が信頼された理由
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今日は奥さま方にもご来店いただきまして、ありがとうございます。
いや~今日は華やかでいいですね~。 -
秀吉の妻・おねです。主人がお世話になっております。
こちらは信長さまの奥方・吉乃さまです。
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こんにちは、どうも。
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これ、吉乃。来んでいいと言ったのに。
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あら、私だけ留守番なんて寂しいじゃありませんか。
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ところで信長さん。
信長さんって、とても疑り深いじゃないですか。
なのに秀吉さんのことはずいぶん信頼してましたね。あれはどうしてです?
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ふん、簡単に人を信用しておったら、戦国の時代で生き残れるものか!
叔父にも裏切られるし、従兄弟にも背かれるし、しまいには弟が謀反を起こすし! -
まあ、いろいろな過去がありましてね。この人なりに苦労したみたいなんです。
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ま、秀吉のことはたしかに信用しておった。
それはえこひいきではないぞ。
こいつが、がむしゃらに働いて、上司のオレをもり立ててくれたからよ。
たとえば金ケ崎からの撤退のときじゃ。 -
あ~、あの戦いは私も同行してましたが、万事休すと思いました。
秀吉どの、よくやってくれましたな。
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何があったんですか?
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戦いの最中、味方に裏切られて、挟み撃ちになってしまいましてな。
絶体絶命の大ピンチです。
誰かがその場に踏みとどまって本隊を逃がす必要があったのです。
全滅もありうる危険な役目。それを秀吉どのは自ら買ってでたのです。
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全滅覚悟って、それ怖くなかったんですか?
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それはもちろん怖かったぞ。死にたくはないからの。
じゃがの、やりたくないのは皆同じ。誰かがやらねばならんのじゃ。
ならば、ワシがやってやろうと思うたのじゃ。
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カッコいいこと言ってますけど、家ではよく『どうしよどうしよう(汗)』って頭抱えてるんですよ。
少しは相談してくれたらいいのに。 -
バカ、そんなみっともないことができるか!
あ、信長さま、その節は感謝状を頂きまして、ありがとうございます。
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めったにやらんから大事にしろよ。
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もちろん中には、自分の力ではどうしようもない事案もある。
その時は素直に『お願い』するのも大事じゃな。
ただのイエスマンではなかった秀吉と家康
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と言いますと?
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ワシが一軍をまとめて中国地方の毛利氏と戦っているときじゃ。
相手を本気にさせてしまったようで、とんでもない大軍で来られたのじゃ。
あわわ、これはまずいと思って、思い切って信長さまに援軍をお願いしたのじゃ。
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ふつうなら『自分で何とかせい!』と突っぱねるところだが、まあ、秀吉の日頃の働きぶりを考えれば、手伝ってやろうかなとも思えるものだ。
オレ自ら出向いてやったぞ。 -
なるほど。
精一杯をやってみた上で、素直に助けを求める。
それなら素直に手を貸そうかとも思えますね。
家康さんにとっては信長さんは上司ですよね。
どんなことを心がけてましたか?
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信長さまは一代の英傑、私めが意見するようなことはいたしません。
(そうしないと怒鳴られるし…)
しかし私とてまがりなりにも大勢の家臣を抱える責任ある身。
いざという時は自分の本音をぶつけるときも必要かと存じます。 -
おお、いつぞやは食ってかかってきたな。
『今度、援軍に来なかったら敵に寝返る!』とか。
こやつ言いおるわ、と思ったぞ。
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その節はご無礼を・・・。
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家康さん、これはまたずいぶん思い切ったこと言ったんですね。
でも何かカッコいい。
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信長さまはその要請を受けて自ら大軍を率いられ、見事、長篠の戦いにて武田の騎馬軍団を鉄砲部隊で打ち破ったのです。
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日頃、言われるとおり実行し頑張っているからこそ、いざという時の一言に重みがあるんだなと思いました。
学ばせていただきました。
「May I help you?」理不尽な上司の信用を勝ち取る対応
ワンマン上司ともいえる信長は非常に疑い深い人でした。
それは後年、家康の長男が敵に通じているという疑念をもち、切腹を命じたことにも表れています。
にもかかわらず、秀吉は非常に重宝されました。
信長は、子のない秀吉のために、自分の子供を養子にやったほどです。
なぜ秀吉はそれほど信長に信頼されたのでしょうか?
秀吉の行動には「困ったことがあればいつでもお手伝いいたします」という姿勢が窺えます。
まだ秀吉が草履取りだった頃、信長が朝といわず夜といわず「誰かいないか」と人を呼ぶと、いつどこであっても「藤吉郎にございます」と顔を出していました。
つねに信長のそばに控えて「自分にできることはないか」と機会を窺っていたのです。
信長が、福井の朝倉氏と戦っていたとき、それまで同盟していた浅井氏が突如裏切り、信長軍は前と後ろに敵を抱える袋のネズミとなりました。
即刻撤退しなければ全滅もありえる危機です。
そんな中、敵の追撃を一手に引き受け、本隊を逃がす役割を秀吉は自ら買って出たのです。
全滅してもおかしくない役のため、命じる方もかなり気を遣うはずです。
そこへ自ら手を上げてくれたのですから、信長としては内心助かったことでしょう。
秀吉は死にものぐるいで追手を払いのけ、見事織田軍は危機を脱します。
理不尽な上司でも、自分のために懸命になっている人のことを嫌いにはなれないものです。
普通なら「何をやっているんだ!」と声を荒げるような失敗にも、「まあ、いいよ。次から気をつけてもらえば」くらいに思えるのが人情です。
「人を助ける」という姿勢が、結果的に自分を助けることになります。
「情けは人のためならず」という言葉は、この単純な原則を教えられたものでしょう。
こうした献身的な対応が、理不尽なワンマン上司・信長の警戒心を解いていったのです。
理不尽な上司・信長に家康の物言いが届いたのはなぜ?
家康は信長に対して、基本的に従順な対応をとっていました。
徳川家の中には「わが徳川は信長の同盟者であって、家臣ではない」と反発する声もありましたが、家康は、理不尽でワンマンな信長の性格をわきまえていました。
意見して亀裂が入るデメリットのほうが大きいと判断したのでしょう。
では、追従するだけだったかというと、そうではありません。
家康が、武田氏からの圧迫を受けていた頃のことです。
単独ではとても武田にかなわない家康は、信長に再三援軍を要請します。
しかし、信長自身も多くの敵に囲まれており、思うような援軍を送ってもらえず、家康の城は次々に落とされていきます。
ここで家康は大胆な行動に出ます。
「今度、援軍に来なかったら武田に寝返る!」と信長に通告。
それまでの従順な対応から一点、ストレートに意見をぶつけたのです。
あの理不尽でワンマンな信長ですから激怒しそうなものですが、信長はその要請を受け入れ、武田の倍の援軍を自ら率いてやってきます。
人間関係において、自分の言いたいことばかりぶつけても相手の心には届きません。
自分のことを理解してもらっていると感じてはじめて、相手の意見にも耳を貸そうかなと思えるものです。
上司の対応においては、8割は従順を貫き2割で意見をする、という「8:2」が黄金比と言われます。
家康は日頃、信長の方針を尊重していたからこそ、いざという時、本気の要求が通ったのでしょう。
まとめ
短気で理不尽な信長はワンマン上司ではあっても、「理想の上司」とは言えなかったかもしれません。
しかしそんなワンマン上司・信長を真摯な対応で支え続けたのが秀吉です。
自分のために尽くしてくれる人を嫌がる人はいません。
たとえワンマンで理不尽な上司であっても、それは同じでしょう。
「自分にできることはないか」とつねに心を配る対応がワンマン上司の心をひらき、信頼へとつながっていくのではないでしょうか。
そして家康からは、自分の意見に耳を傾けてほしいなら、まず相手のことを理解する大切さを学ぶことができます。
私たちはついつい相手に自分の要求ばかりしてしまいますが、それでは人間関係はこじれていく一方でしょう。
要求する前に、まず自分から動く。
そういった対応が結果的に、理不尽な上司との人間関係を潤滑にしていくはずです。
参考文献
『信長・秀吉・家康の研究 上・下』(童門冬二)
『名将言行録 乱世を生き抜く知恵』(谷沢永一)
『結果を出すリーダーが知っている歴史人物の知恵』(NHK「先人たちの底力 知恵泉」番組制作班)