源氏物語の構成
『源氏物語』は、その内容から大きく三部に分けられます。
第一部は、光源氏の誕生から、最高の栄華を極める30代後半までの話です。
第二部は、世俗の栄華は変わらないようでも、源氏の幸せに陰りが差し、幸せが大きく崩れていく、40代以降を描いています。
地位や財産に恵まれたのが成功なのか、幸せそうに見える人が本当に幸福なのか、人間の深部に迫ります。
第三部は、光源氏没後の子や孫の時代です。
中でも終わりの十巻は、「宇治十帖」と呼ばれ、紫式部の真骨頂といえる作品と評する人もあります。
前回で第一部が終わり、今回から二部に入ります。
最初の「若菜」上下二巻は、名文で知られています。
明石の入道の願い
光源氏40歳のこと。東宮妃となった源氏の一人娘・明石女御が、夏ごろから体の不調を訴えるようになり、やがてつわりだと分かりました。
まだ12歳、こんなきゃしゃな体で子を産むとは、何と恐ろしいことかと源氏は心配でなりません。
かつて正妻・葵の上がお産で亡くなったことも頭をよぎります。
里帰りした明石女御を、明石の君(女御の実母)がいる六条院・冬の町で静養させることにしました。
冬の町には明石の君の母・尼君もいました。
父の入道は、若い頃に都での出世をあきらめて明石に移り住み、地方長官となった人ですが、今なお住み慣れた地で独り暮らしをしています。
入道には「一族から帝、后を出す」という永年の願いがありました。
それを果たすために、蓄えてきた財を娘(明石の君)の教育に惜しみなく使い、光源氏に嫁がせたのです。
ところで、尼君は、美しく成長した孫娘を目の当たりにでき、夢のようだと大喜びです。
目に涙をためて震えながら、ニコニコ顔で女御に寄っていき、昔の苦労話を聞かせるのでした。
明石の尼君から聞く昔の話
親子3人、田舎暮らしをしていたこと、そこへ光源氏が現れ、明石の君と結ばれたこと。
「ところが間もなく、光源氏様が京に戻ると聞き、もうびっくりして。
私たち家族は捨てられるのか…と嘆き苦しんだものですが、あなたが生まれたおかげで、こうして都に呼ばれ、今、身に余る幸せな暮らしを送っているのですよ」
初めは見知らぬ老女の姿に一歩引いていた女御でしたが、祖母・尼君から聞く話はどれも初めてのことで驚きを隠せません。
数え3歳まで明石に住まいしていたことも知りませんでした。
「自分は元から並ぶ者のない高い身分であるように思って、宮仕えをしている間も周囲の人たちを見下して、思い上がっていたものだ…」
とごう慢な自分を知らされ、家族の苦労あればこそ、教養を身につけ世間的に恥ずかしくない身分になれたのだと、しみじみ感謝するのでした。
そして、まだ見ぬ故郷と祖父に思いをはせます。
しおたるる あまを波路の しるべにて たずねも見ばや 浜のとまやを
(泣きぬれている尼君に道案内してもらって、明石の浦の家を訪ねてみたいものです)
明石の入道からの手紙
春になり、女御は無事に出産しました。安産で、しかも男子の誕生とあって、周囲は大喜びです。
入道にも知らせは届きました。
“一族から后、帝を出す願いがかなったも同然”と万感の思いで、いよいよ仏道一筋に生きることを決意し、山奥へこもってしまいます。
娘(明石の君)への長い手紙の最後に、こう書かれていました。
この世のたのしみに添えても、後の世を忘れたまうな
(この世の楽しみを味わうにつけても、後生〈来世〉を忘れなさるなよ)
尼君は、今生ではもう夫に会えないだろうと悲しみ嘆きます。
60年生きてきて、思いも寄らぬ幸を得たけれども、この世はどんな幸せも続かぬ無常の世界ではなかったか。
夫との再会は弥陀の浄土で、と願うのでした。
源氏物語全体のあらすじはこちら
源氏物語の全体像が知りたいという方は、こちらの記事をお読みください。
話題の古典、『歎異抄』
先の見えない今、「本当に大切なものって、一体何?」という誰もがぶつかる疑問にヒントをくれる古典として、『歎異抄』が注目を集めています。
令和3年12月に発売した入門書、『歎異抄ってなんだろう』は、たちまち話題の本に。
ロングセラー『歎異抄をひらく』と合わせて、読者の皆さんから、「心が軽くなった」「生きる力が湧いてきた」という声が続々と届いています!