こんにちは。国語教師の常田です。
今日の物語は、いつの時代も、どこの世界にもある悲劇の始まりです。
女三の宮への思いを募らせる柏木
40歳になった光源氏は、朱雀帝(源氏の兄、前帝)の娘・女三の宮を正妻に迎えました。
それを恨めしく見ていたのが、太政大臣の息子・柏木です。
彼は源氏の息子・夕霧の親友で、将来を期待されていた非常に優秀な青年です。
年は25、6歳くらいで、笛と蹴鞠(けまり)の名手でした。また、動物嫌いなところがありました。
柏木も女三の宮の婿候補の一人で、自らも積極的に求婚していました。
しかし、女三の宮を嫁がせるには官位が低すぎて、かなわなかったのです。
うわさでは、光源氏の紫の上への寵愛は並々ならぬものだ、女三の宮は正妻とはいえ形だけ、などと聞こえてきます。
「私ならそんなかわいそうな思いはさせないのに」
とさらに想いを募らせ、源氏が出家することがあれば、女三の宮との結婚のチャンスが巡ってくるのでは…と六条院の様子を絶えずうかがっていました。
猫が導く出会い
桜舞い散る、春の麗らかな日のことです。
柏木は、六条院の庭で夕霧たちと蹴鞠を楽しんでいました。
柏木は、抜群の足さばきで人々を魅了します。
若者たちの熱気が伝わったのか、室内の女房たちも、胸をときめかせながら御簾(みす)越しに蹴鞠見物をしていました。
と、その時、一匹の小さな唐猫が、御簾のすそから走り出てきたのです。
首につけた長いひもが引っかかったのか、さっと御簾が引き上げられ、庭から女たちの姿があらわになりました。
その中に、紅梅襲(がさね)を着たかわいらしい女三の宮が立っているのを、柏木は見逃しませんでした。
憧れの女性の姿に、感動で胸を震わせます。
唐猫を抱き上げ、彼女の残り香をかぐのでした。
丸見えになったことに気づかない女房たちに、夕霧が咳払いで警告すると、ようやく女三の宮も部屋の奥に入りました。
当時、身分の高い女性が夫以外に顔を見せるのは、あってはならぬ恥ずかしいことでした。ゆえにこのような場合も、奥で顔を隠しているべきだったのです。
こんな常識に欠けた女三の宮の言動が、後々、悲劇を招くことになります。
あきらめきれない柏木
柏木は、自分の思いだけでも伝えたい、と女三の宮に文を送ります。
よそに見て 折らぬなげきは しげれども なごり恋しき 花の夕かげ
(遠くからあなた〈女三の宮〉を見るばかりで、手折れぬ悲しみは深いけれども、夕日に照らされた花のように美しいあなたの姿が、いつまでも恋しく思われます)
女三の宮は初め、無邪気なさまで手紙を読んでいましたが、ふと蹴鞠の日に柏木に姿を見られたことに気づき、驚きます。
常々、源氏から他の男性に顔を見られることがあってはならぬと、厳しく戒められていたのに…。
源氏に知られたら、どんなに叱られることか、と女三の宮は震え上がるばかりでした。
一方の柏木は、女三の宮の女房から、「高嶺の花に恋してもムダですよ」と言われても、あきらめられません。
せめて、女三の宮が飼っているあの猫だけでも手に入れたい、と彼女の兄である東宮に熱心に頼み込むのでした。
彼ほどの動物嫌いが、この猫とだけは共に寝、起きれば世話に余念がない状態になりました。
来て、ねうねう、といとろうたげになけば、かき撫でて、うたてもすすむかな、とほほ笑まる
(猫が来て「ねうねう」〈寝よう寝よう〉とたいそうかわいらしく鳴くので、なでて「共寝しようとは、ずいぶん積極的だな」と苦笑する)
猫は女三の宮の身代わりです。東宮から催促されても、返さず独り占めしている有り様でした。
こうして、くすぶった情念をひたすらため込んでいく柏木。
やがてその愛欲が暴発する時がやってきます。
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女房:身分の高い人に仕える女性
太政大臣:前回までの「頭中将」(とうのちゅうじょう)「内大臣」と同一人物。光源氏の親友でありライバルであった人物。
六条院:光源氏の暮らす大邸宅
東宮:帝の位を継ぐ者、皇太子
源氏物語全体のあらすじはこちら
源氏物語の全体像が知りたいという方は、こちらの記事をお読みください。
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