戦わずして勝つ!?一流のおもてなし術とは
こんにちは、歴史から学ぶ人生ナビゲーターの木口です。
仕事に家事に忙しく、人間関係も希薄な中、自分の本音もなかなか言えず、何かとストレスがたまりやすいのが現代です。
そうした日々を繰り返す中で、いつしか人への気遣いや優しさを失いがちになります。
だからこそ、心のこもった思いやりにふれた時、私達は深い感動を覚えます。
殺伐とした戦国乱世の中、心のこもった「おもてなし」で、人間関係を築こうとしたのが実に信長や秀吉でした。
戦国時代、弓や刀で戦うばかりが能ではなかったのです。
毛利輝元は、秀吉のおもてなしによって戦わずして忠実な家臣となりました。
相手に戦わずして勝つ、信長・秀吉のもてなし術をどうぞ!
敵だった毛利輝元を、秀吉はどうやって心服させたのか
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「今日はワシがもてなしてやろう」とかで、居酒屋を離れて雅な茶室へ来ております。
落ち着いたたたずまいに、畳のいい香り。
障子の向こうにはきれいなお庭。
紅葉もきれい。あら、秀吉さんがお茶を点ててくれてる。
ずいぶん手慣れた感じだわ。 -
さあ、できたぞ。どうぞ。
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ありがとうございます。
わ~おいしい! -
どうじゃ、けっこうなお手前じゃろう。
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自分で言うなって。
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ふ~、体から毒素が抜けていくようです。
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そういえば家康さん、健康マニアでしたね。
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秀吉さん、よくお茶会はされるんですか?
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おー、そうじゃ。
わしはこうやって人をもてなすのが大好きでの! -
お前、ぜったいオレのマネしてるだろ!
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へへっ、ばれました?
でもワタシの場合、人を喜ばせるのが元来好きなのです。 -
私も何度もお招きいただきましたな。ありがとうございます。
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戦国の世とはいえ、戦うばかりが能ではないぞ。
戦わずして勝てるなら、それに勝るものはなかろう。
おもてなしにはそうした効果があるのじゃ。 -
何か実体験がおありのようですね。
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よくぞ聞いてくれた!
たとえば、中国地方の大名・毛利輝元。
一応はワシの配下になったんじゃが、もともとは敵だったもので心から心服しとらんのは手にとるようにわかった。
このままではイカンじゃろ。 -
どうしたんですか?
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オ・モ・テ・ナ・シじゃよ。おもてなし。
毛利輝元を大阪に呼んでの、『輝元さん御一行ツアー』を組んだのよ。 -
御一行ツアー?なんか楽しそう(笑)
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まず毛利輝元のために茶会や宴会をしてやった。
京の公家や商人も呼んでパーッとの、パーッと!
そうそう、茶はワシ自ら点ててやったぞ。 -
なんと! 社長自らお茶を入れてくれるようなものじゃないですか!
これには毛利輝元さんも驚いたでしょうね。
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それから観光めぐりじゃ。
自慢の大坂城・天守閣から一緒に景色を眺めたり、京都や奈良の観光名所も案内したりしてやったぞ。
田舎から来た輝元じゃ、ゆく先々で目を丸くしておった(笑)
蹴鞠なんぞ初めて見たじゃろう。
ワシも得意じゃぞ、ほれほれ。 -
挨拶にやってくる大名は数しれず。てんやわんやでしたな。
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……とまあそんな具合でイベントもりだくさんの2カ月間、輝元にはとにかく楽しんでもらった。
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はっはっは!
『皆さま、右手に見えるのが大坂城でございます』か(笑)
サルのガイドとは、笑わしよるわ!
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ウキー! サル観光でござい。
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なんか秀吉さんも楽しんでる感じ!
今でいうなら初めて大阪に来た人にユニバーサルスタジオジャパンを案内して、高級レストランに招待して、インスタにばんばん写真があがるような感じですね!
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女将、若いですな…(汗)
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オレなんか客のために城をライトアップしてやったぞ。
あれは喜ばれたな。夜になるまで引き止めた甲斐があった。
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え!? 城をライトアップ!?
当時そんな発想があったなんて……。
月明かりにぼんやり浮かぶお城……。
あ~何だか幻想的でロマンチック……。 -
……おぬし、酔っておらんか?
それに茶の腕だったらオレも負けんぞ。
腱鞘炎になるくらい何度も人に点ててやったからの。
覇王・信長お手製の茶じゃ。
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わー、なんか聞いてるだけで楽しくなってきました!
ホスピタリティっていうんでしょうか、
一流ホテルも顔負けのおもてなし精神ですね!
400年を先取り!?信長の斬新チーム編成
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現代企業も顔負けというならもう一つ語りたいことがある。
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おや、どんなことです?
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グーグルってあるだろ。
あれはその時その時でチームの構成員が変動するそうな。
プロジェクトごとに必要な人材は変わってくるからな。 -
第1営業部とか、そういう固定のものがないってことですね。
斬新な考え!
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斬新なものか。オレはとっくにそうやっていたぞ。
秀吉や光秀などプロジェクトリーダーの下につく家来を、毎回変えたのよ。 -
その都度、新鮮でしてな。
あ、光秀さんとタッグ組むこともありましたよ。
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その時々のベストメンバーでチームを作っていたんですね。
快進撃の理由を見たように思います。 -
ふふ、400年を先取りするとは…オレ天才。
戦わずして、毛利輝元も徳川氏・上杉氏も次々と配下に
殺伐とした戦国の世にあっても、戦うばかりが能ではありません。
時には心のこもった「おもてなし」が、戦局を大きく変えることもあります。
本能寺の変のあとのこと。
中国地方の最大勢力・毛利輝元に、大阪まで来るよう秀吉は命じます。
毛利輝元は、秀吉を天下人と見定め、一応支配下には入ったものの、かつては信長配下の秀吉と10年以上戦った間柄。
心からは従っておらず、この指示を警戒します。
それを察知した秀吉。さて、どうするか。
秀吉は毛利輝元を大々的な歓迎ツアーで迎え入れたのでした。
大阪に到着する前、すでに兵庫の時点で家来を待機させておく念の入り用です。
到着してからは輝元のために公家や商人を集めた宴会に誘うやら、自ら茶を点てたり酒をついだりしてやるやら、朝廷に働きかけて官位を授かるやら、大坂城の天守閣から一緒に眺めを堪能するやら、京都や奈良の観光名所を次々と案内するやら……。
その様子を記した筆者が「記し難し」と書いているほどです。
「輝元どの!これが奈良の大仏いうての!」という秀吉の軽快な声が聞こえてきそうです。
秀吉はこうしたイベントには惜しげもなくお金を注ぎ込みました。
広島の田舎からやってきた毛利輝元にとってこの2カ月間の関西滞在は、夢の国に来たような心地だったかもしれません。
これには輝元もすっかり気をよくし、最初の警戒心もどこへやら、戦わずして、豊臣の忠実な家臣として働くようになります。
秀吉は、臆することなく自分から相手の懐にとびこんでいき、人間関係を築くのが得意だったのです。
得意というより彼の性分だったかもしれません。
そうした秀吉の前に、勢力第2位、3位、4位だった、毛利氏、徳川氏、上杉氏は、戦わずして次々と配下に加わっていきました。
なお秀吉のおもてなし精神は一般庶民にも向けられ、「北野大茶会」という茶会では、一般公募で参加者を募りました。
そこらの一般庶民が太閤・秀吉と面会できたのです。
アイドルの握手会のようなことを、すでにこの時代にしていたのですね!
さすが秀吉さん、やることが違う!
戦わずして勝つおもてなし術は、信長がはしり!?
実は秀吉のおもてなし精神は、主君・信長ゆずりだったのです。
ある時、堺の茶人を迎えての茶会では、料理を信長自ら給仕するおもてなしぶりです。
その際、前日にその茶人から信長に献上された茶器を立派に飾り、「これこそ天下の名器○○じゃ、昨日△△殿から頂いた!」と紹介、自尊心をくすぐるのも忘れません。
信長は、茶道を一つの文化からコミュニケーションのツールに変容させたのです。
「パンダ外交」ならぬ「お茶外交」です。
また格式張ったものでなく、ざっくばらんを好んだようで お皿を金銀で飾ったり、城の天守閣を提灯でライトアップしたりと、当時の常識をやぶる斬新なエンターテイメント性も盛り込みました。
客は、乱世であることも一時忘れ、楽しんだことでしょう。
こうした趣向をこらしたおもてなしは、相手に心を開いてもらい、人間関係を築くだけではありません。
相手に自分のスケールの大きさを知らしめ、「これはとてもかなわない」と理解させ、戦わずして勝つ効果もありました。
結果的に、無用な戦いを減らすことにもなったでしょう。
まとめ
戦国武将たちは生き残りサバイバルで常にピリピリしているかと思ったら、和やかな一場面もあったのですね。
「仕事のできる人」と聞くと何かたくみな弁舌や交渉術があり、人一倍の仕事量をこなす人かのようにイメージします。
商談相手をやり込め、ライバルを出し抜く様は、あたかも戦国武将が戦場で相手を追い詰めていくかのようなものです。
しかし、信長や秀吉は、そうした力と力をぶつけ合うやり方には限界があることを熟知していたのではないでしょうか。
おもてなしで戦わずして勝ち、強固な人間関係を築く。
自分から心を開き、相手を大切に思う人の周りに人が集まってくることを教えてくれているように思います。
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あのさ、さっきから気になってるんだけど、壁から柱まで全部金ピカってぜんぜん落ち着かなくない?
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いやはや、派手好きなクセが出てしまいましたかな。
参考文献
『秀吉の接待-毛利輝元上洛日記を読み解く』(二木謙一)
『戦国おもてなし時代』(金子拓)
『織田信長の家臣団』(和田裕弘)