こんにちは。国語教師の常田です。
美しく咲き誇っていた花の時期も、「ああ、もう終わるんだな…」とせつなくなるようなお話です。
「御法の巻」のあらすじを解説します。
一条帝の后・定子の遺言
紫式部が宮仕えする前、宮中には一条帝の后・定子がいました。
一条帝の定子に対する純愛は、今も語り継がれています。
ただ定子は、時の権力者・藤原道長の圧力と嫌がらせにより、心身ともに追い詰められ、第三子を出産したあと、24歳の若さで亡くなりました。
その出産前に、遺言のような次の歌を残しています。
知る人も なき別れ路に 今はとて 心細くも 急ぎ立つかな
(知る人もない後生に旅立つ別れ路に、今はこれまでと立っている。独りぼっちで心細いまま、あっという間に飛び込んでいくことよ)
独りぼっちで死出の旅路に押し出されている寂しさを詠んでいて、心打たれますね。
今回のお話は、この歌が思い出される場面です。
残された時間はわずか…。紫の上の願い
光源氏と永年連れ添った紫の上も、40歳を超えました。当時ではもう老人の仲間入りです。
数年前に大病に倒れてから、体は弱っていくばかりでした。
今年限りの命と自覚し、いよいよ切実に、仏道を一筋に求めたいと願いますが、源氏の許しは得られません。
「仏法を求めることをここまで妨げられるとは、私はどれほど罪深い人間なのだろうか…」
紫の上は、自身の過去の行いを顧みずにはいられませんでした。
出家のかなわない原因を、”源氏のせいだ”で片付けることもできますが、ここで紫の上は、自己に目を向けています。
実際は、夫の許可なしに出家する女性もあります。
しかし、幼くして肉親と死に別れた自分を、他人もうらやむ現在の境遇にしてくれた源氏の恩を思えば、自身の一存では決められなかったのでしょう。
ここに紫の上の優しさ、律儀さが表れています。
残された時間はわずか。死を見つめる紫の上の大問題は、魂の行く先が知れないことです。
胸は不安でいっぱいで、念ずることは”後生明るくなりたい”一つでした。
病身を押してでも、精一杯、仏縁を求めようとします。
紫の上の法要:明石の君に贈る別れの歌
3月、紫の上は、静養している二条院で、自らが責任者となって、大規模な法要を営みました。
彼女の入念な準備の指示は、思い入れの強さをうかがわせるものでした。
わずかな命と知らされると、目に映るものが違って見えるといいます。
満開の桜に弥陀の浄土を思い浮かべ、法要に参集した人々の顔も声も、奏でる楽の音も、これで見納め、聞き納めと思うと、懐かしさが一層身にしみます。
源氏の娘を産んだ明石の君に、かつては嫉妬し対抗心を燃やしていましたが、今となれば深い因縁を感じずにはいられません。
明石の君に、
惜しからぬ この身ながらも かぎりとて 薪尽きなん ことの悲しさ
(惜しくもないわが身ですが、これを最後として命の尽きようとしていることが、悲しゅうございます)
と歌を送り、それとなく別れを告げています。
また、訪れた人々の顔をくまなく見渡し、
「誰も久しくとまるべき世にはあらざんなれど、まず我独り行く方知らずなりなん」
(誰しもがいつまでも生きとどまっていられる世ではないけれど、まず私独りが、行方も知らぬ後生に飛び込んでいくのだわ)
としみじみ思いを巡らせました。
法要が終わり、皆が帰っていくのを、紫の上は「これが永遠の別れ」と見送るのでした。
紫の上の死については、こちらの記事をご覧ください。
【源氏物語】消えゆく命を引き止める道は、いずこにあるのか…【御法の巻】
源氏物語全体のあらすじはこちら
源氏物語の全体像が知りたいという方は、こちらの記事をお読みください。
※アイキャッチのイラストは オリビアさん
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