晩年の太閤・秀吉が見た人生の結論とは?
こんにちは、歴史から学ぶ人生ナビゲーターの木口です。
皆さん、自分の願いが叶うなら、どんなことをしてみたいでしょうか?
「三ツ星レストランに行きたい!」
「世界の絶景をこの目で見てみたい!」
「何にも縛られず、自由にのびのび過ごしたい!」
したいこと、ほしいものはいろいろあることでしょう。
しかし実際は、お金や時間、人間関係などに縛られて、思ったとおりにすることは容易ではありません。
「人生は忍耐が肝心だ」という人生訓も、もっともです。
そんな中、願いを次々と実現し、夢のように華やかな世界にたどり着いたのが秀吉です。
一介の農民からスタートし、最後は日本統一を成し遂げました。
日本中の富を一手に握り、天下の名器珍宝を手にし、思いのまま自由に振る舞えた秀吉は、さぞ満足していたことでしょう。
ところが、晩年に秀吉が残した辞世の句は、少し意外なものでした。
今回は、太閤・秀吉の辞世の句を紐解いてみたいと思います。
これぞ太閤・秀吉スケール! 賑やか好きが日本を明るくする
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ほれほれ皆さん、ぱーっと飲んでくだされ!
今宵はこの秀吉のおごりでござる! ささっ遠慮なく。 -
さすが秀吉どの。気前がようございますな。
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がっはっは! ワシはお祭りさわぎが大好きじゃからの。
ささっ吉乃さまも。 -
ではお言葉に甘えて。
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この気前のよさは、いつかの大判振る舞いを思い出しますな~。
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大判振る舞い?
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はっはっは。聞いて驚くな!
公家や大名を集めて、文字どおり大判小判をばらまいたのよ。
どんなに金銀があっても使わなければ石瓦と同じじゃからの。ほっほっほ。 -
まあ、なんと豪快な。
ちなみに、おいくらぐらいを?
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今の価値にしたら2000億くらいじゃの。
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に、2000億っ!?
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日本中の金山・銀山を手にされていましてな。
湧き出るように次々金銀が懐に入ってきて、その上、中国、朝鮮、琉球、南蛮などから珍しい宝物が山と送られてきて、いやすごいのなんの…。 -
(大判小判、今からでも配ってくれないかな……)
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城の瓦も金、鎧も金、京都に作らせた大仏も金なんですよ。
派手すぎるって言ったんですけど。 -
いいではないか、日本中が景気よくなる気がせんか?
『黄金の茶室』を作るなんぞお茶の子さいさいよ。
天井、壁はおろか、釜、茶碗などもすべて黄金で造らせた。
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お前の辞書には、わびさび、って載ってないようだな。
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何とまぁ豪華な~。
日本を統一して、関白になって日本中の富を手にしたのですから、さぞかし満足でしたでしょうね~。(若干ねたみ)
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うーん、それがそうもいかんでの。
秀吉の夢はインドへ!満足できなかった太閤の心
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どういうことですか?
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日本を統一したらな、今度は外国まで思いどおりにしたいと思うようになったのじゃ。
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あ~、朝鮮に渡ったっていうあれですか。
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さよう。でもあれは朝鮮だけなく中国を手にしたいと思ってのことなのじゃ。
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そうだったんですか!
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かつて信長様は、南蛮から伝わった地球儀を見せられておっしゃった。
日本など小さな国に過ぎん、日本を統一したら大陸に渡りたいと。
信長様でも果たし得なかったその野望を、ワシは自分で叶えたいと思ったのじゃ。
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中国までわが物にしようって・・・ずいぶん欲張りなことを考えたのですね。
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実を言うと野望は中国でも止まらんでの。
本当はインドまでいこうと思っておったのじゃ。
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インドまで!?
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またとんでもないことを…。
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日本だけでも十分でしょうに。
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お前どこまでいったら満足するんだ。
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そうなんですが、目の前に世界が広がっておると思うとつい欲しくなりまして。
ははっ。結果は散々でしたが…。 -
どうやら、人の欲望にはキリがないようだな。
どれだけ手に入れても、足りないものが目につき、終わりがない。
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まことそのとおりです。
ん? おや、この掛軸…すばらしいの~。 -
似たようなの、いくらでも持ってるじゃありませんか。
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いや、ぜひほしい! 女将、金ははずむから譲ってくれぬか!
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これは開店当時からの思い出の品ですから、お譲りできませんよ。
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やれやれ・・・。
日本統一は、ほんの序章。秀吉・インド征服の未来像
秀吉の築いた大坂城は、現在の城郭の4倍、総面積100万坪を超えるという、史上類を見ない規模でした。
城内には「黄金の茶室」があり、天井、壁はおろか、釜、茶碗などもすべて黄金で造られていたというから想像しただけでも目がくらみそうです。
京都の聚楽第では「金銀も使わなければ石瓦と同じだ」と、黄金4,900枚、銀21,000枚…。
いまの価値にして2,000億円ほどを配った豪快さには、ただ圧倒されるばかり。
秀吉の総資産は200兆にも及んだと言われます。
応仁の乱から数えて100年以上、乱れに乱れていた日本をついに統一するという大事業を成しとげた秀吉ですが、その飽くなき野望が潰えることはありませんでした。
「朝鮮そして中国まで制圧する!」と豪語したのは本能寺の変からわずかに3年後、日本国内もまだ統一していない時のことでした。
そして朝鮮出兵が始まった頃、甥の秀次への書状には、こんな壮大な構想が記されていました。
・明を征服し、天皇を北京に移す
・都の周辺10カ国を献上する
・秀吉自らは北京に入り、諸侯に天竺(インド)を自由に征服させる
そのスケールの大きさに驚かされます。
明国の征服を最初に構想したのは、実は主君・信長だと言われています。
「日本を統一した後は明に攻め入り、わが子たちに土地を分け与えるつもりだ」と言ったという記録があります。
その壮大な野望は本能寺の炎とともに消え去りますが、それを受け継いだのが秀吉だったのです。
彼は、明、朝鮮、日本が描かれた「三国地図扇面」を愛用し、じっと眺めてはかつて信長が語った明国征服の野望を思い出したのではないでしょうか。
そしてインド制圧まで考えたのは、信長を超えたいという欲であったかしれません。
日本統一だけで終わるつもりは毛頭なかったのでしょう。
しかし明やインド征服の野望は叶わず、秀吉の死とともに頓挫しました。
秀吉・辞世の句で「夢のまた夢」
秀吉の姿に重なる人たちがいます。
個人資産が数10兆円あったといわれる石油王・ロックフェラーは、「お金はいくらあれば満足か?」の問に、「もう少し欲しい」と答えています。
かのナポレオンは、天才的な軍略でヨーロッパ大陸のほぼ全土を手に入れました。
しかし、イギリスだけが意のままにならず、屈服させようと策略をめぐらたものの、遠征の失敗をきっかけに坂道を転げ落ちるように転落。
最後は捕らえられて絶海の孤島に流され、寂しく一生を終えました。
満たされなければ渇き、満たせば2倍の度を増して渇くのが欲望といわれます。
欲しい物を手に入れるそばから、「あれもほしい」「これもほしい」とさらなる欲が出てくるのです。
はたから見れば「もう十分でしょ!?」と思うほどでも、とどまるところを知りません。
63年の生涯の終わりに、思いを吐露した秀吉の辞世の句はなんとも寂しいものでした。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
なにわのことも 夢のまた夢」
(露が儚く消えていくように、私の命も消えようとしている。
一生を振り返ってみれば、全ては夢の中で夢を見ているような儚いものであったことよ)
秀吉のこの辞世の句は、私たちに大事なことを教えようとしてくれているのではないでしょうか。
まとめ
幾多の強敵を打ち破った秀吉、ナポレオンですが、一番の難敵は際限なく吹き出す自らの欲望であったかもしれません。
欲望には限りがありませんが、満たそうとする命は有限です。
「本当に満足した人生を送るには、欲しいものを手に入れるのとはまた別に、もっと大事なものがある」
秀吉の辞世の句は、そう訴えかけているのかもしれません。
参考文献
『戦国武将名言集』(桑田忠親)
『秀吉と文禄の役』(松田毅一・川崎桃太・編訳)
『エピソードで綴る日本黄金史』(岡本匡房)
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