忍耐した末に見た景色とは?天下人・家康の辞世の句
こんにちは、歴史から学ぶ人生ナビゲーターの木口です。
世の中、思いどおりにならないことがたくさんあります。
思わず誰かに愚痴をこぼすこともあれば、人知れず涙に暮れることもあるでしょう。
思い描いた未来像とはずいぶん異なった現状に、ため息をつくときもあるでしょう。
一難去ってまた一難。
人生とは、降る雨の中、吹く風の中、細く長い道を進むようなものかもしれません。
特に現代人は、毎日何かに追われて、心の余裕を失いがちです。
しかし人生という荒波にもまれているのは、特定の人だけではないようです。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」の句でも有名な家康。
戦国の世に最後に笑った家康は、晩年、自分の人生を振り返っての思いを辞世の句に書き記しています。
鳴くまで待った末に、ついに天下統一を成し遂げた家康は、そこにどんな景色を見たのでしょうか。
家康75年の述懐「人生とはマラソンに似ている」
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オリンピックいつになるか分かりませんけど、皆さん楽しみにしている種目ってあります?
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オレはなんといっても相撲だな。
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あの、種目にないのでは。相撲好きなのはわかりますが。
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ワシはセパタクローじゃな。
蹴鞠で鍛えたワシじゃから代表になれるかもしれんな。
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だからないですって。
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家康さんはいかがですか?
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私はマラソンですな。
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(やっと普通の種目が出てきた)
どうしてマラソンなのですか?
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何というか、自分の人生と重なり合うような気がするのです。
苦しみに耐えながらひたすら、健気に一歩一歩前に進む姿が。 -
そういえば家康さんは、小さい頃から苦労の連続だったとか。
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そのとおりです。
生まれた松平家は、織田と今川の2大勢力の板挟みで汲々としておりまして。
私は6歳で人質にとられ、10年以上、今川のもとにおりました。 -
オレが桶狭間で今川を破ってから、ようやく独立したのよ。
こいつは20歳になっておった。
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はい。
それから信長さまと同盟を結んだのですが、家臣が離反したり、隣の武田信玄にコテンパンにやられたり、(怖い信長さんに頭が上がらなかったり)…大変でした。
まぁ、おかげで忍耐力は身につきましたな。
「鳴くまで待とうホトトギス」は私の得意技です。 -
それはまた苦労をされましたね。
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ありがとうございます。
でも信玄どのからは多くのことを学びました。
天下をとれたのは信玄どののおかげと思っております。 -
敵対する相手からも学ばれたのですね。
さすがは家康さん。
苦労が実って、晴れて天下統一のゴールにたどり着かれたのですね。
家康、驚きの告白!天下統一=ゴールではなかった!?
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うーむ。
天下統一を成しとげたのはいいのですが、それが「ゴール」とは言えんような気がするのです。 -
と、言いますのは?
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人質生活から始まった人生は苦難の連続、心休まるときはありませんでした。
それでも天下を統一すればきっと安心できる、そう信じて戦国の世を生き抜いてきました。
なにせこの日本中が我がものになるのですから。
でも現実は…。 -
違ったのですか?
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はい。
天下は統一しても、安心は一時のことでした…。 -
と、言いますのは?
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まず、家来の反乱が不安で不安で…どうすれば防げるか悩みました。
戦国の世で裏切りを山と見てきたからでしょうな…。 -
大名の妻子を江戸に住まわせたのは…。
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はは、いわば人質です。
また孫二人が跡継ぎ問題で争いまして…家族も分断されてしまいました。
息子夫婦は私を恨んだでしょうな。 -
家康さん、朝廷とも揉めてましたね。
あれちょっと強引じゃありませんでした?
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はい…ですが、幕府にとって替わるのでないかと思うと不安で…。
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なんと…全然落ち着けなかったんですね(汗)
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他にも、息子がグレたり、家臣団が分裂したり…このときは一方を見限るしかありませんでした。
それと…。 -
ちょっと、際限ないじゃないですか~!(汗)
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そうなのです。
いわばゴールのないマラソンを走っているような感覚です。
私の一生を総括するなら、これになりますかな。
(紙に何やら書きつける)
「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
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私の人生は重たい荷物を背負って、終わりのない道をひたすら走っているようなもの…。
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うーむ、重みのある言葉よの。
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でも分かるような気がする。天下統一も一つの通過点じゃったと痛感したぞ。
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まことに。本当に安心できる「ゴール」とは、いったい何なのでございましょうなぁ。
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てっきり天下統一したら、左うちわで悠々自適な日々かと思ったら…重荷を背負って生きていく先はどこなのか、と問いかけられている気がします。
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そうじゃの…。ん?女将、酒が切れてしもうた。
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はい、いま持ってきますよ♪
人質、裏切り…長く険しかった家康のキャリア
信長、秀吉の跡を継ぎ、最後に笑った家康ですが、その道程は決して平坦ではなく、スタートから苦難の連続でした。
織田、今川という二大勢力に挟まれ、幼少期を今川の人質として過ごします。
ようやく独立できたかと思えば、今度は家臣の裏切りにあいます。
信長には頭が上がらず、同盟者でありながらほとんど家来のように振る舞わねばなりませんでした。
武田信玄の侵攻にも再三悩まされます。
家康は、心休まるときがなかったことでしょう。
家康はここが違う!苦難を乗り越えるための3つの処世術
そのような苦難の道を、家康はどのようにして乗り越えてきたのでしょうか?
そこには3つのポイントがありました。
【怒りは敵と思え】
家康は「堪忍は無事長久のもと。怒りは敵と思え」と言っています。
思いどおりにならないと誰でもイライラします。
しかし怒りに任せて言ってはいけないことを言い、人間関係に決定的なひびが入ったり、築き上げた立ち場を失ったりして、後悔の涙に暮れます。
怒りは、不幸が私たちに仕掛けてきた罠なのでしょう。
「その手は食うか!」一時の感情に任せず、時間をおけば、案外冷静になれることを家康は知っていたのでしょう。
【苦労した分、実りも大きい】
「人は負けることを知りて、人より勝れり」
苦労してこそ人より抜きん出ることができる、と家康は自戒しています。
苦労した分、実りを得るのはその本人です。
一時は苦しくても、後から振り返れば、成長するために必要だったと思えることもたくさんあるでしょう。
【全てを学びととらえる】
家康は、隣国の強敵・武田信玄の侵攻に苦しみました。
しかし後年「自分が天下をとれたのは信玄どののおかげ」と述懐しています。
家康は、戦法や政治、家臣団の統率など、多くを信玄のやり方に真似ています。
やってくる苦難も「これも学びの機会」と前向きにとらえたのでしょう。
決して派手ではなく地道な努力を重ねた家康。
天下統一できたのも、決して偶然ではないようです。
征夷大将軍・家康に次々とのしかかる重荷
では天下統一すれば重荷を下ろせたかというと、そうではなかったようです。
「われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり」
天下人になっても、油断はできなかったと漏らしています。
本能寺の変を目の当たりにした家康にとって、謀反への心配は尽きませんでした。
参勤交代で大名の力を削いだり、人質をとったりするもなお安心できず、些細なミスに付け込んで取り潰したり、逆に婚姻で味方に引き入れたりしています。
いかに神経をとがらせていたかが、うかがえます。
朝廷をもコントロールしないと不安だったのでしょう。
天皇や公家の権限を厳しく制限しましたが、幕府と深い確執ができ苦しむことになります。
加えて家族の問題では、3代将軍を兄と弟どちらにするかで、息子夫婦と揉めてしまいます。
兄・家光を推す家康は、弟・忠長を溺愛する息子夫婦と深い溝ができてしまったのです。
また反りの合わない六男との仲は、面会を拒否するほど深刻なものになりました。
家臣の大久保氏と本多氏は、ともに草創期から家康を支えた忠義の家臣でしたが、互いに犬猿の仲。
家康でもコントロールできず、ついには大久保一党は失脚、忠臣を救うことはできませんでした。
「あー、もうっ!次から次へと!!(涙)」という家康の悲哀が聞こえてきそうです。
「全てが嫌になりました。田舎に帰ります」そんな気分にもなったかもしれません。
安心はどこに?語りかける家康の辞世の句
「楽は下にあり」ということわざもありますが、トップに立つ家康は、もしかしたら普通の人以上に孤独で、悩み苦しんでいたかもしれません。
家康75年の生涯を振り返った次の遺言は有名です。
「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
(自分の一生は、重たい荷物を背負って、果てしない道を歩いているようなものだった)
この坂さえ乗り越えたら安心できる、そう信じて登ってみると、もっと急な坂道が待っていて、終わりがなかったと述懐しています。
「ただ見れば 何の苦もなき 水鳥の 足にひまなき わが思いかな」
(他人から見れば、全てが上手くいっていて、何の悩みもないだろうと思える人も、内心では、誰にも言えない苦しみを抱え、もがいているのである)
そう歌ったのは家康の孫・水戸光圀です。
江戸幕府300年の礎を築いた家康は、幸せな人生を送っていたと思いがちですが、この歌で言われるように、内心では苦難の連続だったのでしょう。
まとめ
現代の私たちも、家康と同じように重荷を背負って遠い道を歩んでいるのではないでしょうか。
就職できたと喜んだら、職場の人間関係に頭を抱えたり、異動でほっとしたかと思ったら、仕事のストレスがのしかかったり、何とかせねばと仕事にかかりきりになっている間に、家族との絆にヒビが入ったり…。
突然の災害やトラブルに見舞われることもあります。
深刻な悩みほど、人には言えないものです。
誰もが知る有名人がドラッグに手を出して世間を騒がせたりしますが、何かでごまかさずにいられないほど悩んでいる、ともいえるかもしれません。
しかし、私たちは決して悩んだり苦しんだりするために頑張っているわけではないはずです。
「生きてよかった」と満足するゴールに向かってでしょう。
家康の遺訓は、「苦しみを乗り越えてどこに向かうべきか?」と問いかけているのかもしれません。
参考文献
『戦国武将の手紙を読む』(小和田哲男)
『世界名言集16徳川家康名言集』(桑田忠親)
『戦国武将名言集』(桑田忠親)
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