<今回の登場人物>
平清盛……平家の棟梁
平重盛……清盛の長男
平宗盛……重盛の弟
後白河法皇……天皇退位後も「法皇」として権力を振るう
藤原成親……大納言。謀反の首謀者
文武両道のデキる男
人と人とが集まると、人間関係が生まれます。
家族、会社、学校など、いずれの場面でも、私たちは一人では、生きてはいけません。
そのため、いろいろな悩みの中でもいちばん多いのは、人間関係ではないでしょうか?
あっちを立てれば、こっちが立たず……と、思いがけずに板ばさみになってしまい、苦しむこともしばしば……。
そんな難しい人間関係を、実に見事に調整していたのが、平重盛です。
重盛は、武士で初めて「太政大臣」になった、平清盛の長男。
父・清盛が出世するチャンスになった、保元の乱、平治の乱では、重盛が、源氏の強者どもと互角に戦った武勇伝が残っています。
まさに文武両道のデキる男! 平家の跡取り息子として、キラキラ輝く星です。
清盛と重盛、「清」と「重」の一文字違いで、ややこしいですが、重盛は、清盛には無い、優れた面を持っていました。
鹿ケ谷の陰謀が勃発!
平清盛が、太政大臣に登りつめた後のこと。
ある時、空いた高官のポストをめぐり、貴族の間で奪い合いが始まりました。
しかし、この頃の役職や官位の任命は、法皇や天皇の意向ではなく、まったく平家の思いのままに決められるご時世。
この時の人事で、重盛は昇進します。それはよかったのですが、驚いたのは、重盛の弟・宗盛が、何人もの頭を飛び越えて、いきなり高官に任命。
この人事に、特に腹を立てたのが、藤原成親でした。
「空いたポストに任命されるのは、後白河法皇の側近の私に違いない」
と期待していたからです。
成親は、怒ります。
「私よりもずっと下の、宗盛なんかに越されたのは、ガマンできない。こんな理不尽なことが、あっていいのか。平家の横暴は、目に余る。よし、こうなったら、平家を滅ぼして、高官の座についてみせる!」
この成親の個人的なウラミから、「鹿ケ谷の陰謀」が勃発するのです。
「人事」というのは、難しいですね。
その人の実力と、役職が相応していれば、みんなが納得します。
重盛は、能力も人柄も、周囲から認められていましたが、弟の宗盛は、残念ながら、まだその実力が伴っていなかったのでしょう。
問題点が明快! スッキリ解決
この鹿ケ谷の陰謀は、清盛の知るところとなり、成親は捕らえられます。
清盛はじめ、一門の人々は、「これは大事件だ! さぁ、戦だ!」と、武装を整えていました。
そんな中、重盛は普段着のまま、武士を一人も連れずに、清盛の屋敷にやって来ます。
一門の人々は、意外に思い、たずねます。
「どうして、これほどの大事に、武者を連れてこられないのですか」
重盛は、答えます。
「大事とは天下、国家の大事をいうのだ。平家一門に関することは私事である。今回のような私事を、大事とは論外である」
かっこいいですね。
この問題のポイントを、最初からズバリ説いています。
つまり、この事件の発端は、思いどおりの人事にならなかった成親の「私憤」から起きました。
成親が怒りを向けたのも、国家ではなく、平家に対してです。
あきらかに「私事」です。
それをズバリ見抜く、重盛の眼力と、いきり立つ一門を説き伏せる説得力、お見事ですね。
そして、大激怒している父・清盛に対しても、とても冷静に話をします。
「世のため、君のため、家のためを思いますと、他人にひどい仕打ちをした報いが、やがて自分に返ってきた事例は、歴史上、いくたびもありました。そのようなことが、わが家に巡ってくることが恐ろしいのです。
私はこの繁栄が、子々孫々まで続いてほしいと願っています。
成親は、朝敵というほどの者ではありません。
どうか、今夜、首をはねられるのだけは、やめていただきたいのです」
清盛は、もっともだと思ったらしく、成親を死刑にすることだけは、思いとどまったのです。
重盛は、成親の言動には一切ふれず、平家一門の未来を説きました。
そのため清盛も、目の前の成親への怒りから、ふっと視点が離されて、冷静さを取り戻したのでしょう。
鹿ケ谷の陰謀、黒幕が登場!
鹿ケ谷の陰謀には、実は、黒幕がいたのです。
源頼朝が「日本国第一の大天狗」と呼んだ、後白河法皇。
後白河は「天皇」の頃から清盛と連携し、平家の武力を利用して、朝廷の実権を握ります。
ところが、「平家の力が大きくなりすぎた」と感じたとたんに、密かに、平家の力を削ごうと画策していきます。
両者の対立が表面化した最初の事件が、「鹿ケ谷の陰謀」でした。
後白河法皇は、
「あれは、臣下が、勝手にやったことだ。わしは知らん」
という顔をしています。やはり「大天狗」。
清盛は、黒幕を見抜いているので、平家の軍勢を招集し、法皇の御所へ攻めようとします。
まさに一触即発の危機に、重盛がやってきました。
清盛はこう言い出します。
「今回の謀反は、後白河法皇が企てたのは明らかだ。法皇には別の場所へ移っていただこう」
後白河法皇との直接対決へと、清盛は動き出しました。
ことわざにも残る、重盛の言葉
すると、重盛は、はらはらと涙を流し、泣き出しました。
「どうしたんだ」
驚いたのは、清盛。
重盛は、涙ながらに答えます。
「武士として低い地位しかなかった私たちが、一躍、高位、高官を得て、優雅な暮らしができるようになったのは、後白河法皇のご配慮があったからではないでしょうか。
その大きなご恩を忘れて、法皇の御所を攻めるなど、決してあってはなりません」
父をいさめた後、重盛は苦しい胸の内を告白します。
「私の今の地位も、後白河法皇のご恩によるもの。そのご恩の重さを考えますと、たとえ父上が御所を攻められようとも、私は、法皇をお守りします。それが臣下としての、当然の務め。
しかし、釈迦は『父母の恩は、山よりも高く、海よりも深い』と教えられています。
悲しいかな、主君(法皇)に忠義を尽くそうとすると、大恩ある父上に背くことになります。
痛ましいかな、父上に孝行を尽くそうとすると、主君(法皇)に背くことなります。全く、進退に窮してしまいました」
(原文)
悲哉、君の御ために奉公の忠をいたさんとすれば、迷慮八万の頂より猶たかき父の恩、忽にわすれんとす。痛哉、不孝の罪をのがれんとおもえば、君の御ために既不忠の逆臣となりぬべし。進退惟谷れり。(巻第二 烽火之沙汰)
この時の、重盛の言葉から、
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」
のことわざが生まれたのです。
二つの大切なものの板ばさみになって、苦しむことを表しています。
誰も悪者にしない、重盛の調整力
重盛は、続けて父に訴えます。
「どうすればいいのか、私には判断がつきません。
そこで、お願いがあります。私の首をはねてください。そうすれば、いずれの罪も犯さずにすみます。
こんなつらい目に遭うのは、誰のせいでもありません。
私自身が、過去世に犯した罪の報いが、今、現れたのでしょう」
頼りにしている長男から、このように言われては、清盛も思いとどまるしかありませんでした。
重盛の素晴らしいところは、誰も「悪者」にしていないところです。
苦しい立場に立たされた時、あの人のせいだ、この人のせいだ、と「人のせい」にするのが世の常ではないでしょうか。しかしそれでは、悪者にした人と、悪者にされた人との対立関係は、エスカレートするばかり。
重盛は、苦しい今の立場は、誰のせいでもなく、私自身にあると見つめています。
この姿勢を貫く重盛は、トップからも、家臣からも、周り中から信頼されていました。
父・清盛は、剛毅な性格で、突き進むタイプ。
一方、長男・重盛は、全体を見る目と、優れたバランス感覚を持つ、調整役タイプです。
この二人があってこそ、平家一門は、力を発揮できたのでしょう。
人の集まるところ、重盛のような調整役が、必要なのですね。
(イラスト 黒澤葵)
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