歴史が面白くなる新感覚クイズ 歴シル! #4

  1. 人生

なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】

2人の歴史ナビゲーターが送る新感覚歴史クイズ「歴シル」!

手軽にサクッと学べる13問のクイズを解き終えるころには、あなたも立派な戦国通です!

ナビゲーター紹介

なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像1
長宗我部元親
名前の読み方は「ちょうそかべもとちか」。
四国・高知県の戦国武将。戦国時代をクールに分かりやすく解説する。
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リン
都内の大学に通う明るく元気な1年生。歴史は詳しくない。元親のことをチカさんと呼んでいる。

今回のクイズはこちらです!↓↓

    1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

      【Q3】立場が下の者が上の人を倒して実力者になることを「下剋上」といった。
      下剋上でのしあがった大名として、北条早雲(ほううじょうそううん)という武将は有名だ。
      では早雲はどんなやり方で上の人を倒したと思う?

      A・プレゼントをたくさん送り油断させ、軍隊を送った
      B・家来となった上で、酒の席で暗殺した
      C・支配者が旅に出ている間に城を奪った
      D・ワイロを送り地位をゆずってもらった

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そもそも「戦国大名」って、どんな人?

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

    【正解】Aプレゼントをたくさん送り油断させ、軍隊を送った」だ!

 

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像5

    ねぇチカさん、そもそも「戦国大名」ってどんな人なの?

  2. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

    戦国時代にそれぞれの領地を支配している武士のことさ。そして学級崩壊をおこした日本をまとめる候補者たちでもある。

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像5

    まとめ役か~高校のときのクラスも荒れてたけど、しっかり者のハルト君がまとめて一つになったな~あんな感じかな。

  2. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

    そうだな、別な言い方すると「日本統一選手権」にエントリーした各地の代表者ってとこだ!

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像5

    あ、インターハイみたいな感じね!

  2. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

    そう、「愛知代表・織田信長~、山梨代表・武田信玄~」みたいな感じだ。ちなみにオレは高知代表だ。

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像5

    なんか大阪が強豪校ってイメージなのよね。

  2. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

    それ甲子園じゃない?

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像5

    あと留学生とか他県から引き抜いてきてるところも強いのよね~

  2. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

    完全に、甲子園じゃん!

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像5

    自分の出身県の武将には、がんばってほしいわ!

なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像16

*チカさんのひとこと解説*

スポーツでも番狂わせの波乱があったりするのと同じで、戦国ももとは下っ端だった人が
上の人を実力で倒してのし上がったりしたんだ。これを「下剋上」という。

戦国時代は油断すれば引きずり降ろされるという、とてもシビアな時代だったんだ。

部員も少ない無名のノーシード校が優勝候補に勝つみたいなもので、戦国時代の醍醐味のひとつだ。
逆にいえば強豪校でも油断できない、はらはらドキドキの毎日だっただろう。

なぜそんなシビアな時代になったのか?
それは各地の大名が将軍よりも強い軍事力をもっていたからだ。

将軍の決めたことでも、軍事力をちらつかせて「オレは嫌だね!」と拒否することが日常茶飯事になっていた。

比較すると、徳川幕府は、各地の大名の力を徹底して削減した。
・大勢の家臣とともに定期的に江戸に来させることで、莫大な旅費を使わせたり
・大名の妻子を人質として江戸に住まわせたり
・戦いが起こった際、基地として使われないよう、城は一つだけ残してあとは全部壊させたり
反抗したくてもできない状況を作っていた。

室町幕府はこうした統制システムがなかったので、各大名が
「オレはこうしたい」
「わしは反対」
「なんでお前が」
とやりたい放題で収拾がつかなった。

上の言うことに従わない」という風潮が、応仁の乱をきっけに京都から地方に飛び火して、力が物を言う反乱・裏切り・暗殺の時代を作っていったんだ。

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像5

    これじゃおちおち寝てもおれないわね・・・

  2. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

    徳川家康さんは、室町幕府の欠点をみごとに乗り越えたってことだな。

  1. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像5

    バドミントン部のレギュラー奪われないか不安になってきた・・・

  2. なぜ下剋上が起きてしまう!? 北条早雲に見る番狂わせの仕組み【歴史教養クイズ】の画像3

    お、戦国大名の気持ちが少しは分かってくれたかな笑

まとめ

下剋上が起きてしまうのは、大名が将軍よりも大きな軍事力をもっていたからです。
力を背景に自分の言い分ばかりを主張し、気に入らなければ反乱する。

「力こそすべて」の風潮が各地に広がり、スキあらば・・・と皆が考えるようになったのです。

「君のことを信頼しているよ」と形で示すため、大名は自分の名前の一字を家来に与えることもよくなされました。

例)
大内義隆 → 毛利隆元 陶隆房 (「隆」の字を与える)
(それでも大内義隆は陶隆房に殺されました・・・)

大名と家来は主従関係とはいえ、一種の契約のようなもので、かなり気を遣っていたといえます。

下剋上の先駆けとして有名なのが、関東で活躍した北条早雲(ほうじょうそううん)です。
ときの支配者は、早雲がプレゼントをたくさん送ってくれるので、すっかり味方だと油断していました。

その上で

早雲「すみませーん、狩りをしてたら獲物がそちらの領地に逃げ込んじゃったんですけど、入ってもいいですかー?」

上の人「どうぞ~」

早雲「では失礼……おらー、者ども攻めかかれー!」

上の人「って、えーーーっ!? お前、敵だったのーーーっ!?」

と見事に倒すことに成功しました。

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