2人の歴史ナビゲーターがおくる新感覚歴史クイズ「歴シル」!
手軽にサクッと学べる13問のクイズを解き終えるころには、あなたも立派な戦国通です!
ナビゲーター紹介
長宗我部元親
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名前の読みかたは「ちょうそかべもとちか」。 四国・高知県の戦国武将。戦国時代をクールに分かりやすく解説する。 |
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リン
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都内の大学に通う明るく元気な1年生。歴史はくわしくない。元親のことをチカさんとよんでいる。 |
今回のクイズはこちらです!↓↓
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【Q12】信長の強さの一つは宣伝上手。中でも皆の度肝を抜いた信長の自己アピール術は、次のうちどれ?
A・京都の街に金銀を配った
B・城をライトアップした
C・水玉模様の羽織をまとった
D・藤原氏の養子になった
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まだテストしていない人はコチラから!
「YouTuber信長!? 自己アピールで戦わずして勝つ」
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正解は「B・城をライトアップした」だ!
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ちょっと、女の子を夜に連れ出して何なのよ~
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見せたいものがあってな、あれを見ろ。
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わ、山が……! いやあれお城ね! ライトアップされてる~♥
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信長さんのやったことが再現されてるんだ。信長さんの強さは戦いのうまさだけじゃない。宣伝と拡散がうまかったともいえる。
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宣伝と拡散?
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そうだ。自分の強さや正当性をアピールし、戦わずに勝つんだよ。
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戦わずに勝つって、たとえば?
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城内に巨大な庭園をもつ迎賓館を作ったのはいい例だ。そこに武士や貴族を招いて、各地から取り寄せた珍しい食材や宝石でもてなしたんだ。食器も金ピカにして、信長自ら茶を点て、帰りには大量のお土産を手渡すんだよ。
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超VIP待遇ね!
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自慢の宝物を見せびらかすのも忘れない。中には16億円もするものや、国ひとつに相当すると言われたものもあった。相手は「こりゃ戦ってもかなわんな……」とひるんでしまうというわけだ。
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過去の優勝トロフィーをずらっと並べられる感じかな。それはひるんじゃうわね。
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で、それを地元に帰っていろんな人に伝える。「ちょっと、信長さんの城すごすぎたわ~」と。このお城ライトアップには、ヨーロッパからきた宣教師も度肝を抜いたらしい。
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どんどんリツートされてく感じね! じゃもし信長さんが現代に生きてたら……
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ぜったいYouTuberになってるな。「はいどーもー信長でーす! えー今日はオレ自慢の城の魅力を一挙公開したいと思いまーす! チャンネル登録よろしく!」ってなとこだろう。
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わーおもしろそう!
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さらに、信長さんのアピールは武士や貴族にだけじゃない。商人に向けても「オレの国にくると儲かるぜ!」と人をたくさん呼び込んだんだ。
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どういうこと?
*チカさんのひとこと解説*
「楽市楽座」
当時、商売をするには「座」という同業者組合に入らないといけなかった。
座に入るには高いライセンス料が必要、つまりお金持ちだけが商売する権利を独占していたんだ。競争が起こらないので、品質も上がらず、値段も高かった。
信長さんはこの座をなくさせ、誰でも商売できるようにした。これを「楽市楽座」という。結果、よい品物がより安く作られるようになり、街が栄えていった。
信長さんにとってどんなメリットがあったかというと、売上の中から税金を受けとったんだ。だからたくさんの人が自由に商売できるほど、信長さんもお金が増えていく。高価な鉄砲をたくさん揃えることができたのは、豊富な資金があったからでもある。
こうして力をつけた信長さんは、将軍・足利義昭を京都から追放し、足利幕府は滅びたんだ。
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自分も周りも得をする、それいいわね!
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通行しやすいように道を整備したり、途中休めるように木を植えたり、怖いイメージの信長さんも、実はかなり庶民想いだった。
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へ~それなんか意外~! となると他の武将も「オレだって」なりそうだけど、どうなんだろう?
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そうだな、戦国サバイバルを生き残るために、みんな宣伝合戦だった。その一部を紹介しよう!
●家柄を(自称してまで)誇示する
自分がいかに良い家柄かをアピールし、味方に引き入れようとした。将軍・足利家は源氏の子孫。たとえば足利義昭なら、正式な文書では「源義昭」と記し、武士の棟梁であることを示そうとした。
家康さんの徳川家も公には源氏の子孫を名乗ったけど、実際は地方武士の出身と思われている。征夷大将軍は代々源氏が任命されてきたから自称したんだろう。一方、信長さんの織田家は「平氏の末裔!」と言い張ってる。
また山口の大内氏は朝鮮王の末裔を自称している。当時、大内氏は朝鮮半島との貿易で大きな利益を得ていたから、朝鮮とのつながりをアピールした方が有利になると考えたのだろう。
●朝廷や幕府から高い地位をもらい受ける
ほとんど実権を失っていた朝廷や将軍家だが、もらい受ける位や役職は大義名分には役に立った。「オレが広島の長官に任命されたんだから立ち退いてもらおうか」と戦争を仕掛る口実にした。
●金銀を配る
秀吉さんは天下統一の後、京都の街で金銀の小判を文字通りばらまいた。「使わなかったら石瓦と同じじゃ、かっかっか!」誰がこの世の支配者なのか大いに示したことだろう。
●まとめ
戦国大名は、自分の正当性や力をアピールし、味方を増やしていきました。中でも信長のアピール術は群を抜いていました。
仲間内を庭園に招いての宴席はそれまでもありましたが、信長はそれを人脈づくりや、周囲をあっと言わせるプロモーションの場に変えたのでした。
本能寺の変の前日には、38個もの自慢の茶器を持ち込み、京都の公家を呼びつけて「ご覧あれ!」と披露しています。中には国一国と引き換える価値があるといわれたものまであり、公家たちは信長の力を見せつけられたことでしょう。
他の大名も負けていません。家柄を自称したり、朝廷や幕府から位をもらったり、使えるものは何でも使えというたくましさです。
もし戦国時代にインターネットがあったら武将たちはどんな宣伝をしたか、想像するだけでも面白いですね(笑)
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