2人の歴史ナビゲーターがおくる新感覚歴史クイズ「歴シル」!
手軽にサクッと学べる13問のクイズを解き終えるころには、あなたも立派な戦国通です!
ナビゲーター紹介
長宗我部元親
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名前の読みかたは「ちょうそかべもとちか」。 四国・高知県の戦国武将。戦国時代をクールに分かりやすく解説する。 |
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リン
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都内の大学に通う明るく元気な1年生。歴史はくわしくない。元親のことをチカさんとよんでいる。 |
今回のクイズはこちらです!↓↓
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【Q9】徳川家康を何度も苦しめた武将・真田幸村が旗にしるした「六文銭」の正しい意味のうち正しいのはどれ?
A・世の中銭や!
B・我は軍神・毘沙門天の化身なり
C・死をも恐れず戦うぜ!
D・万人が一人のため、一人が万人のため
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真田幸村の六文銭の意味は?旗を見ればモットーが分かる!
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正解は「C・死をも恐れず戦うぜ!」だ!
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戦国武将は文字やマークが書かれた「旗」をもって戦場に行った。その種類は実に様々だ。
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たぶん敵と味方を区別するためよね? だったら色だけでもいいじゃない? 赤組、白組みたいな。
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たしかに敵味方の識別のためもあるけど、それだけじゃない。一族の誇りや自分の信条、チームのスローガンを表現したんだよ。ラグビー日本代表なら?
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あ、「one team」ね!
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そう、「おれたちはこういう気持ちで戦うぜ!」っていうものだ。
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なるほど! うちの部活にもチームスローガンあるし、そういう目で見るとなんかおもしろい!
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中でも家康の天敵・真田家の「六文銭」は有名だ!(ページ先頭のイラスト参照)
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六文…銭、ってなに?
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銭はお金、文はお金の単位だ。「三途の川」って聞いたことあるだろ?
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うん、死んだあとに渡るっていう川ね!
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そう、当時は、三途の川を船で渡るのに六文かかると信じられていたんだ。つまり「死ぬことを恐れず戦うぞ!」っていう意味だ。
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そうなんだ! なんか勇ましくてかっこいい!
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戦国最後の戦いである大坂の陣のとき、真田幸村は圧倒的多数の家康の本陣に切り込んで、家康が「もう逃げ切れない」と切腹を覚悟するほど追い詰めた。その戦いぶりは「真田日本一の兵(つわもの)」と敵に称賛されるほどだった。幸村が戦死した翌日、豊臣秀頼が自害し、150年続いた戦国時代はついに終わったんだ。
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え、そうなの!? ひょっとしたら歴史が変わってたかもしれない…幸村って戦国最後の武将だったのね(しみじみ)
*チカさんのひとこと解説*
旗は単なる敵味方の識別じゃない。一族の誇りをかけて家紋を記したり、信じる信条や決意をこめていたんだ。たとえばこんなのだ!
●家紋系
一族の家紋(マーク)を旗にするのは一般的だ。
毛利家「一文字三ツ星」
「一」は「カツ」とも読み、三ツ星は将軍星と呼ばれる戦場にふさわしい家紋だった。毛利元就は謀略の天才で、広島の一領主から中国地方全土を支配する。
島津家「丸に十字」
十字はもともと厄払いの意味があり、招福の印と信じられていた。十字架とは関係ない。島津義久の時代にほぼ九州全体を制覇するも、秀吉の前に屈服する。
この2家の家紋は、後の時代で再び歴史の表舞台に立つ。そう幕末だ。明治維新の中心となったのは長州藩(毛利家)と薩摩藩(島津家)だ。奇しくも関ヶ原の戦いで徳川家に負けた大名が、260年後に徳川幕府を倒すことになるのだ。
明智光秀「水色桔梗(ききょう)」
植物を家紋にするのは一般的だが、光秀の特徴は家紋自体に色がついていること。本能寺の変のとき「あれは水色桔梗の旗! おのれ明智光秀、裏切ったか!」と信長さんの声が轟いたことことだろう。
チカさん「七つ片喰(かたばみ)」
朝廷から土地をもらい受けるとき、たまわった盃に片喰の葉が浮かんでいたことからつけたんだ。オレたち長宗我部氏は秦氏の末裔といわれてな、秦の始皇帝の子孫が渡来人として日本に渡ってきたから秦氏と名乗ったといわれる。オレ、やっぱり王者の風格あるんじゃない?
●スローガン・信条系
自分の信条やスローガンを旗に託したのも多い。
石田三成「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」
「万人が一人のため、一人が万民のために尽くせば、太平の世が訪れる」という意味だといわれる。秀吉の秘書として活躍した三成は、秀吉の死後「家康のやつ、豊臣を滅ぼそうとしているな! そうはさせるか!」と打倒・家康のために関ヶ原で戦うも敗れた。
徳川家康「厭離穢土、欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)」
平安中期の高僧・源信僧都の『往生要集』にある言葉で「苦悩の多い穢れたこの世を離れ、心から平和な浄土をこい願う」という意味だ。自殺しようかと悩んでいた家康さんに、当時の僧侶がこの言葉を与え、思いとどままらせたとか。家康さんは戦国の世を汚れた世界、戦争のない平和な世界を浄土と考え、旗印にしたんだ。事実、戦国の世を終わらせた。
織田信長「永楽通宝」
永楽通宝は当時使われていた貨幣だ。まだまだ物々交換が主流だった当時、いち早く貨幣による経済システムを作ろうとした一流ビジネスマンらしい旗だ。
武田信玄「風林火山」
「動くときは風のように素早く、待つときは林のように静かに、攻めるときは炎のように激しく、動かないときは山のようにどっしりと」という意味だ。中国の兵法書『孫子』からの引用だ。ちなみに信玄の伝令係はムカデを旗にしていた。ムカデは前にしか進まないので「一歩も引かんぞ!」の意味を込めたのだろう。にしてもムカデか~。
上杉謙信「毘」
「毘沙門天」の毘。謙信は自分のことを戦いの神・毘沙門天の生まれ変わりだと信じていた、本気で。「兵士たちよ! 毘沙門天の生まれ変わりであるこの謙信がついているぞ! 敵を恐れず戦え!」というアピールだろう。
●まとめ
戦場における旗は、単に敵味方を識別するものではありませんでした。
一族の誇りをかけて家紋を描いたり、自分の信じる信仰や座右の銘、チームとしてのスローガンを旗に託したのです。武将にとって旗は命に等しい大事なものだったのです。
そして屈強な武将の旗は、見せるだけで敵への威圧になります。
「あ、あの旗は、真田幸村だ~ あわわ…」
といった感じです。
また旗を見ると「あ、旗が同じだ。もとは同じ一族なのね」と分かるのも面白いです。
例) 足利家 最上家 斯波家(足利の分家が最上、斯波)
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