2人の歴史ナビゲーターがおくる新感覚歴史クイズ「歴シル」!
手軽にサクッと学べる13問のクイズを解き終えるころには、あなたも立派な戦国通です!
ナビゲーター紹介
長宗我部元親
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名前の読みかたは「ちょうそかべもとちか」。 四国・高知県の戦国武将。戦国時代をクールに分かりやすく解説する。 |
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リン
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都内の大学に通う明るく元気な1年生。歴史はくわしくない。元親のことをチカさんとよんでいる。 |
今回のクイズはこちらです!↓↓
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【Q11】戦国の食事事情は現代と大きく異なる。当時の食事として、当てはまるのはどれ?
A・醤油はなかった
B・牛肉を食べていた
C・1日3食だった
D・うどんはまだなかった
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まだテストしていない人はコチラから!
「食事が戦国時代を制す!兵士の食事と、信長・秀吉・家康が好きなものとは?」
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正解は「A・醤油はなかった」だ!
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えっ? 醤油なかったの!?
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近いものはできていたけど、広まるのは江戸時代からだ。
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お刺身とかお鍋とかどうするの?
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この時代、味付けの基本は酢や味噌なんだよ。そして朝と夕の1日2食だ。
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1日2食!? …お昼ご飯抜いたら授業中にお腹なっちゃう……
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みんな質素だったんだ。魚や鳥は食べてたけど、豚や牛は明治時代になるまで食べなかったんだよ。トマトやジャガイモ、玉ねぎとかもなかった。
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ってことは、ハンバーガーもステーキもなかったってこと!? 今に生まれてよかった~(汗)
(ぐ~・・・・)
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ん?
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お腹すいた~…。なにか食べるものない?
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まったく仕方ないな。これでも食べるか?
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なに? この丸っこいの?
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「兵糧丸」っていう、兵士が戦場で食べてた携帯食料だ。
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なんかお菓子みたい!
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近いね。粉にした玄米、ごま、人参、そば、きなこなどを酒で練り合わせたもの。いつ敵が襲ってくるかわからない戦場では、ゆっくりご飯は食べられない。だからこうした携帯食料が発達したんだ。
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あ、今でいう栄養ゼリーみたいな感じね! 部活の前によく飲むわ!
*チカさんのひとこと解説*
腹が減っては戦はできぬ。戦場ではどんな食事をしていたのか紹介しよう!
●3日分の腰兵糧
戦いのとき、最初3日分の食料は各兵士が持参することになっていて、それ以降の分は大名が支給した。持参するのは握り飯が多かったが夏場は腐ってしまう。そこで乾燥させたり炒ったりした米をお湯で戻して食べた。毛利氏のようにお餅にしたところもある。袋に包んで、肩や腰にぶらさげた。
支給される米は1日5合(茶碗10杯)だったというから驚きだ。体力勝負だったことが伺える。戦場では雨が降ったらお米は炊けない。その時は水に浸してから柔らかくして食べるなど工夫した。ちなみにこの時代は、白米ではなく玄米が主流だぞ。
●陣立味噌
主食以外では味噌が重宝された。「陣立味噌」といわれるものは一般的だった。煮豆をすりつぶして麹を混ぜて丸い玉にする。戦場に着くことには味噌になっているというすぐれもの!
●芋がら縄
芋の茎を味噌や酒で煮しめて、実際縄としても使って、食べる時はお湯で戻して即席みそ汁のできあがり!
さらには、天下統一に向かった信長さんたちはこんなのを好んで食べたそうだ。
●信長
大根の味噌見や焼き味噌など、塩辛いものが大好き!エネルギッシュに動き回って汗をかくからだろうか。新しいこと好きのチェレンジャーは辛いものが好きという報告もあるが頷ける。また戦いの前には白米にお湯をかけただけの「湯漬け」をさらさら食べて戦場へ行った。せっかちだからか時間の節約か、いずれにしても信長さんらしい。
●秀吉
貧乏だった幼年期の秀吉はどじょう鍋をよく食べたという。どこでも手に入るし、栄養も満点。どじょうは幸せを感じるホルモンといわれるセロトニンのもとを多く含んでいる。くよくよせず明るく前を向く秀吉の性格はこのためかもしれない。
●家康
贅沢を嫌った家康は、粗末な食べ物と考えられていた「麦飯」を好んで食べてた。麦は米より粒が大きく、ゆっくりじっくり噛まなければならなかった。「鳴くまで待とうホトトギス」の忍耐力は、こうしたことからも培われたのかも。
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え、1日5合!? それを何千人分も準備するのよね。それってすごい量になるんじゃない?
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そうだ、だから食料を運ぶ運搬係=「小荷駄(こにだ)隊」が重要で、実は軍隊の半分は小荷駄隊なんだ。たとえば1万人の軍隊なら5000人は小荷駄ということになる。
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えーーっ!? 半分は運搬係!?
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そう。食料の他にも武器や馬のえさなどいろいろあるからな。たいていは近くの農民が駆り出されたが、正規の兵士ではないので当然弱かった。
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お城のときもそうだったし、戦国時代のイメージがどんどん覆る(汗)
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お、リンちゃんも戦国通になってきたってことじゃないか。いや、すばらしい!
●まとめ
悠長に食事できない戦場では、手軽に食べられる携帯食料が発達しました。玄米に薬味を練り込んだ「兵糧丸」や、大豆に麹を練り合わせた「陣立味噌」などで、乾燥させお湯で戻して食べていました。
戦場では、最初3日分は各兵士が持参し、それ以降の分は大名が支給しました。兵士は1日5合食べたというから、軍隊全体で準備する量は膨大です。食料や武器の運搬を担ったのが「小荷駄」と呼ばれる運搬係。軍隊の半数を占めていたことから、いかに食料の準備が大変だったかうかがえます。
日常の食事風景も現代とは大きく異なります。朝と夕の1日2食で、豚や牛は食べませんでした。また醤油がなくもっぱら味噌や酢で味付けし、白米ではなく玄米が主流でした。
今ではメイン野菜のジャガイモ、トマト、キャベツ、玉ねぎなどはこの時代にありません。日本の伝統食と思われているにぎり寿司や天ぷら、そばが登場するのも江戸時代。ただうどんは戦国時代にすでにあったようです。
それにしても戦国三英雄の味の好みはそれぞれですね。皆さんはどの武将のタイプですか?
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