2人の歴史ナビゲーターがおくる新感覚歴史クイズ「歴シル」!
手軽にサクッと学べる13問のクイズを解き終えるころには、あなたも立派な戦国通です!
ナビゲーター紹介
長宗我部元親
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名前の読みかたは「ちょうそかべもとちか」。 四国・高知県の戦国武将。戦国時代をクールに分かりやすく解説する。 |
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リン
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都内の大学に通う明るく元気な1年生。歴史はくわしくない。元親のことをチカさんとよんでいる。 |
今回のクイズはこちらです!↓↓
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【Q13】戦国武将は、自分に箔をつけライバルを出し抜こうといろいろな工夫をした。武田信玄がとった作戦は次のうちどれ?
A・副将軍になった
B・自分を神とあがめさせた
C・京都の公家から嫁をもらった
D・戦争の際は常に先頭に立った
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まだテストしていない人はコチラから!
「上洛」ってどんな意味?信長飛躍のきっかけでもある大名の目標
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正解は「C京都の公家から嫁をもらった」だ!
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あら、信玄強そうだしDかと思った。
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戦闘で大将が命を落とすと全軍が混乱に陥るので、大名は後方で指揮をとるのが普通だったんだ。
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なるほど、それにしても武田信玄って山梨の武将よね。なんでわざわざ京都からお嫁さんを?
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当時の日本の首都は京都。天皇がいて幕府が置かれて多くの人が住んでいた日本の中心地。「京」「みやこ」「京のみやこ」などと呼ばれていてた。
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東京が首都じゃなかったのね。
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そう。実は関東は、徳川家康が江戸に入るまでただの田舎だった。
そして明治時代になったときに「東のみやこ」という意味で東京とつけたんだよ。 -
なるほど!東京ってそういう意味だったのね!
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京都は文化の中心地でもあって、みんなあこがれてたんだ。まあ、若い人にっての渋谷みたいなものかな。
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渋谷か~、流行の発信源ってことね!なんかイメージできた!
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そう。だから秀吉さんも天下統一した後、実は大阪ではなくほとんど京都にいたんだよ。
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大阪城のイメージが強いけど、そうだったんだ。
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そうそう、自分磨きって言葉があるだろ?
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うん、レベルアップみたいな。
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武将たちも自分磨きに忙しかったんだ。お茶や漢詩、和歌や能、もちろん弓矢の稽古も怠らなかった。
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わ! 習いごとめっちゃかけもちしてるって感じね! 弓矢はわかるけど、お茶や和歌? 趣味にけっこう時間使ってたのかな?
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趣味でもあったかもしれないけど、もっと大事な意味があった。お茶や和歌、漢詩など京都の文化を深く知っているというのは「イケてる人」の証だったんだ。
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イケてる人?
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そう、今でいうなら、流行りのお店やファッションを知ってて、英語もできて本もよく読んでてスポーツも万能、みたいな感じだ。
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わ~、それカッコいい!
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そうだろ? 武将たちは、自分がイケてることを示して仲間を増やそうとした。だから京文化をたしなむのは、生き残りをかけた大事な戦略だったんだ。
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なるほどね、戦国武将もレベルアップしようと毎日がんばってたのね! 私もがんばろ!
*チカさんのひとこと解説*
戦国時代、日本の中心地は京都だった。
天皇や将軍がいて、文化の最先端をいっていた。だからこそ武将たちは「I♡京都」でマネをしようとした。
「小京都」と呼ばれる場所が全国にあるのはそうした名残で、戦国大名は自分の領地に京都そっくりの町並みを作ろうとした。福井県の一乗谷は「北の京」、山口県山口市は「西の京」と呼ばれたぞ。
山口の戦国大名・大内氏は、京都の観光地として有名な清水寺や八坂神社を移植、伝統行事の祇園祭まで輸入して今でも続いてるぞ。
各地の武将が京都に憧れてというパターンだけではない。応仁の乱以降、京都はたびたび戦場になり地方に避難した公家がたくさんいる。そうした公家が「やっぱり京都がいい!」と、京都そっくりの町を作るというのもあった。代表的なのは高知県の中村で、関白だった一条教房が京都から逃げのびて作った町だ。
そして「メンツ」に何よりこだわるのが戦国武将、「血筋」や「格式」を求めて、京都の貴族から妻をもらったりした。武田信玄は、同盟していた今川義元の斡旋で公家の三条家から、大内義隆は万里小路家から妻を迎えたんだ。一度嫁いだら実家に帰ることはまずない。嫁ぐ方は華やかな京を去らねばならないのだから、複雑な思いだったろう。
大名が軍勢を引き連れて京都に入ることを「上洛」といった。京都に入ったということは、日本中に大きな影響力をもつということで、天下統一への大きな踏み台になる。だから諸大名の大きなの目標だった。邪魔する敵を倒して35歳で上洛した信長は、天下統一への道を着々と歩んでいくことになる。
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なんで「上洛」って言うの?
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「洛」とは京都のこと。実権のなかった足利将軍は、京都に来て後ろ盾になってほしいと各地の大名に頼んだ。それに真っ先に反応したのが信長さんだ。
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真っ先に反応した、ってどういうこと?
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京都入りするのを邪魔するライバルがいるんだよ。また地元を留守にするリスクもある。だから上洛の要請があっても、みんななかなか動こうとしなかったんだ。
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なるほど。危険を犯してでも上洛する重要性が分かってたってことね!
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そうだな。ちなみに、京都への憧れには危険もある。
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危険?どういうこと?
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あくまで時代は戦国サバイバル。貴族にかぶれて武芸を怠ると生き残れない。前述の大内義隆なら、公家文化にのめり込むあまり政務をかえりみなくなり、それに怒った家来に謀反を起こされた。
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あ、下剋上だ…戦国時代であることを思い出した(汗)
まとめ
戦国時代、京都は政治・文化の中心でした。
大名たちは京都の文化を取り入れ、京都そっくりの町を作ったりしたのです。
戦国の女性にとっては、お茶や漢詩、作法や書道などは「花嫁修行」と思われていました。気楽な玉の輿と思ったらとんでもない。女性は家と家を結びつける「外交官」でもあったため、高い教養が求められたのでした。
軍勢を引き連れ京都に入ることを「上洛」といい、邪魔する敵を押しのけて、真っ先に京都に入った信長は、やがて将軍をも凌ぐ影響力をもち、ついに将軍を追放し新時代を切り開いていくのでした。
ちなみに修学旅行の定番・京都二条城。元は信長が将軍のために作ったものなのです。
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