古典の名著を味わう
『歎異抄(たんにしょう)』を、より深く味わいたい。
それには、唯円(ゆいえん)が書き綴る、親鸞聖人(しんらんしょうにん)とは、どんな方なのか?を知ることが大切です。
そこで、各地の旧跡を旅しながら、親鸞聖人90年のご苦労をたどる連載がスタートしました。
レポーターは、「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一。
前回は、親鸞聖人がお生まれになった、京都の日野の里を目指していると……、なぜか、小野小町のお話が始まりましたが……、木村さん、道に迷われたのでしょうか?
(古典 編集チーム)
「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』ゆかりの地を旅します
(「月刊なぜ生きる」2月号に掲載した内容です)
明日ありと 思う心のあだ桜
「なぜ、小野小町が出てくるの?」
「『歎異抄』と関係ないじゃないか」
と、思われるかもしれません。
実は、親鸞聖人が9歳で出家された動機を知る手がかりになるのです。
青蓮院(しょうれんいん・京都市東山区)の庭園には、
「明日ありと
思う心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは」
と刻まれた歌碑があります。わずか9歳の親鸞聖人が詠まれた歌です。
「明日まで自分の命がある保証は、どこにもありません」
と無常を見つめ、仏門に入る決意を示された歌でした。
この歌の意味を解くため、親鸞聖人ご生誕の地、日野(京都市伏見区)へ向かいます。
地下鉄東西線の小野駅で降り、旧奈良街道を南へ歩くと、小野小町ゆかりの随心院(ずいしんいん)が見えてきました。小町は平安時代の女流歌人です。
世界の三大美人
境内に「小野小町 化粧(けわい)の井戸」があります。立て札には、
「この付近は小野小町の屋敷跡で、この井戸は小町が使用したものと伝う」
と記されています。
誰が言い始めたのか、
「世界の三大美人」
に小野小町が入っています。
クレオパトラ、楊貴妃と並ぶ女性ともなると、化粧に使う水をくんだ井戸までが旧跡になってしまうのか……。「小野小町と同じ水を使ったら、小町美人になれる!」と思うのかもしれません。
小野小町に恋した深草少将
美人と評判の小町に、プロポーズする男性が多くありました。中でも有名なのが深草少将です。
少将は熱烈な恋文を送ります。
小町にとっては、男性からの一方的な申し出は迷惑だったのでしょう。
今ならば「迷惑です!」とハッキリ伝えて、それでも迫ってくる場合は、ストーカーとして扱われます。
しかし、小町はハッキリ断ることはしませんでした。こう申したなら、あきらめてくださるかしら……と、優しく、遠回しに伝えます。「私の住まいを百夜、訪ねてくださったら、お心に従いましょう」と……。
心とは裏腹に……
「あきらめてほしい」と願った小町の心とは裏腹に、少将は、大喜びです。
「あなたと結婚するためならば、何日でも通います」
彼は、雨の日も、風の日も、雪の日も、夜になると自宅から約5キロの道を歩いて小町の屋敷へ通い始めたのです。
しかし、100回になるまで小町は会ってくれません。それでも少将は、訪問したあかしに、毎晩、カヤの実を1つずつ、門前に置いていきました。
苦労して通えば通うほど、小町を恋い焦がれる思いは、激情となって高まっていきます。
「こんなに私のことを思ってくださるのは、あなただけです。あなたに愛される私は、なんて幸せなのでしょうか」とほほえむ、美しい小町の姿が、少将には、見えていたのでしょう。
しかしそれは、少将が、勝手に思い描いた「小町」でした。
当の「小町」は、断りたい気持ちでいっぱい。
「もう、あきらめてください。もう来ないでください。えー、また来たの? いい加減、うざいし、しつこいわ!」
と、ますます、心が離れてしまったのではないでしょうか。
そして、99日め……
そして99日めの夜。
都は深い雪に覆われていました。
「あと2回で、願いがかなう」
と、心が弾む少将にとって、大雪など物の数ではありません。しかし、これまで、あまりにも無理を重ねてきました。寒さが身にこたえ、体が弱っています。
雪をかき分け、ようやく小町の屋敷にたどり着くと、疲れ切って倒れてしまったのです。
音もなく、夜の雪が降り積もります。
深草少将は、そのまま門前で凍死してしまったのでした。彼の手には99個めのカヤの実が、しっかりと握られていたといいます。
深草少将が倒れた場所も、この井戸の近くだったと伝えられています。
彼は「恋」に、身も心も、命までも焼いてしまいました。
「恋」は煩悩(ぼんのう)の1つです。恋だけではありません。金、名誉、地位、財産などの煩悩にとらわれ、命を奪われていく人が、どれだけあるか分かりません。
少将は、まさか自分が100日以内に死んでしまうとは、夢にも思っていなかったはずです。
彼は、99個めのカヤの実を握って、雪の中に倒れた時、どう思ったのでしょうか。
「小町には会えなかったけれど、恋に人生をかけて、悔いはなかった」
と思えたでしょうか……。
それとも、
「こんなに短い一生だと分かっていたら、こんなことに人生をかけなかったのに……。バカだった」
と、悔しがったでしょうか。
それは誰にも分かりません。
コロコロ変わる 世間の評価
その後、小野小町は……。
深草少将が、99回も通ったのに、小町は顔も見せませんでした。そのことから、「冷たい女性だ」と世間から非難されるようになったといいます。
彼女としては、少将を傷つけずに、あきらめさせようとして、
「百夜、通ってくだされば……」
と言ったのでしょう。
でも、そんな優しさを理解してくれる人は、ごくわずか。みんな、自分の勝手な思いで、ほめたり、責めたり、笑ったりします。
世間の評価が、コロコロ変わるのは、今も昔も同じようです。
『歎異抄』のメッセージ
『歎異抄』には、次のような親鸞聖人の言葉があります。
(原文)
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)・火宅無常(かたくむじょう)の世界は、万(よろず)のこと皆もってそらごと・たわごと・真実(まこと)あることなし
(意訳)
火宅(火のついた家)のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。
この世は「火宅のような不安な世界」です。
小町のもとへ100日通って、その後もずっと生き続けると、深草少将は思っていたでしょう。しかし、100日も命がありませんでした。
そして、死んでいく時には、何一つ持ってはいけませんでした。小町のもとへ通ったあかしの「カヤの実」1つでさえも、この世に置いて、旅立っていったのです。
一方の小野小町も、「美人じゃ、才女じゃ」と世間中からほめられて、チヤホヤされていたのが、深草少将の死によって、「なんて冷たい」「お高くとまってるんじゃないの」と、評価が一変しました。
「万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなし」
という『歎異抄』の言葉を聞けば、
「そのとおりですね」
と、小町も、うなずいたに違いありません。
花のいろは 移りにけりな
小野小町は才媛なるがゆえに、苦しみが増えたともいえます。
言い寄ってくる男性たち。女性からは、妬まれたり、憎まれたり……。いろいろな人間関係があったことでしょう。それもこれも、小町の「美貌」あっての悩み。
その美貌を、小町自身が愛して、もっと美しくなるように磨いては、衰えないように守る努力を続けていたと思います。
彼女は、歌います。
花のいろは
移りにけりな
いたずらに
わが身世にふる
ながめせしまに
(意訳)
美しかった花の色も、すっかり衰えてしまいました。私も、いつのまにか年をとってしまったのです。
若さも、健康も、才能も、ずっと続くものではありません。遅いか、早いかの差はあっても、確実に衰えていくのです。
美貌や才能で世に出た小町にとって、老いの浸透ほどの苦しみはなかったのではないでしょうか。
すべてのことは、続かない……。この「無常」が、親鸞聖人の出家の動機につながるキーワードかもしれません。
(イラスト 黒澤葵)
小野小町の旧跡・随心院(ずいしんいん)から、法界寺(ほうかいじ)を目指していると、なんと『平家物語』に出てくる平重衡(たいらのしげひら・清盛の五男)の墓を発見! 立ち寄ることに……。次回をお楽しみに。(古典 編集チーム)