日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #26

  1. 人生

【平家物語の人物紹介】俊寛の親心「おまえたちに、もう一度、会いたかった……」

<今回の登場人物>
平清盛(たいらのきよもり)……平家の棟梁
俊寛(しゅんかん)……法勝寺(ほっしょうじ)の僧。鬼界(きかい)が島へ流刑
有王(ありおう)……法勝寺で俊寛に仕えていた少年

俊寛の名だけがない赦免状

平清盛が太政大臣となり、天下を思うがままに動かしていた頃、打倒平家を企てた最初の事件が起きました。有名な「鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀」です。
首謀者・藤原成親(ふじわらのなりちか)の長男である成経(なりつね)と、後白河(ごしらかわ)法皇の側近・平康頼(たいらのやすより)、俊寛の3人は、罪も同じ罪、流刑地も同じ「鬼界が島」に流されました。
「鬼界が島」とは、薩摩(さつま・現在の鹿児島県)の南方海上にある島です。
島には、住む人も少なく、言葉も通じません。田畑もなく、魚や獣を取って食料にするしかありませんでした。
島の中央には、高い山があり、常に火を噴き、硫黄が満ちています。この山には、雷が常に鳴り響き、ふもとには激しい雨が続きます。人が命を保てるとは思えないところでした。

【平家物語の人物紹介】俊寛の親心「おまえたちに、もう一度、会いたかった……」の画像1

ある時、特別な恩赦があり、平清盛の赦免状が、鬼界が島に届けられます。
しかし、赦免状には、成経、康頼2人の名前は記されていますが、俊寛の名前がありません。
何かの間違いではないのかと、何度も読みますが「俊寛」の名はなかったのです。

俊寛は「何とか一緒に連れていってくれ」と頼みますが、許されません。
船は無情にも、出発します。
俊寛は、船にしがみついて叫びます。
「おまえたちは、この俊寛を見捨てていくのか。これほど薄情なやつとは思わなかった。これまでの友情も、今は、何の役にも立たないのか。なあ、どうかお願いだ。乗せていってくれ」
しかし都からの使者は、船に取りすがる俊寛の手を払いのけ、海へ落としてしまいました。

それでもまた、あきらめ切れずに立ち上がり、幼い子が母を慕うように、
「おーい、乗せてくれ! 連れていってくれ!」
と泣き叫び、砂浜をドンドンと蹴ります。足ずりして悔しがる俊寛の姿は、哀れとしかいいようがありません。
沖へ漕いでいく船は、跡に白い波を残し、次第に遠くなっていきました。

(原文)
僧都せん方なさに、渚にあがり倒れふし、おさなき者のめのとや母などをしたうように、足ずりをして、「是のせてゆけ、具してゆけ」と、おめきさけべども、漕ぎ行く舟の習いにて、跡は白浪ばかりなり。(巻第三 足摺)

【平家物語の人物紹介】俊寛の親心「おまえたちに、もう一度、会いたかった……」の画像2

子を思う道にまどいぬるかな

俊寛が京都にいた時、寺でかわいがっていた有王という少年がいました。
有王は、ひとり残された主人の安否を確かめるために、鬼界が島に渡ります。
そうして、過酷な旅の末に、ようやく俊寛を探し当てたのでした。

【平家物語の人物紹介】俊寛の親心「おまえたちに、もう一度、会いたかった……」の画像3

俊寛は、「家族から手紙を預かっていないか」と聞きます。

有王は、涙にむせんでしまいました。やがて、こう語ります。
「平家の屋敷から、あなたが呼び出されたあと、すぐに役人が来て、身内の人々を捕らえて、謀反の経緯を問いただし、殺してしまったのです。
かろうじて奥様は、2人のお子様を連れて山奥へ逃げられました。お子様は、いつも父上を恋い慕っておられました。私が行くと、『有王よ、お父様に会いたい。鬼界が島とかに、連れていけ』と、だだをこねられたものです。しかし、男のお子様は、2月に流行の病でお亡くなりになりました。
奥様は、子を亡くした悲しみと、夫の安否を気遣う心労から、日ごとに衰弱していかれました。そして、3月2日に、とうとう亡くなってしまわれたのです。
ご家族としては、姫君お一人だけ、奈良に隠れて住んでいらっしゃいます。ここに、お手紙を頂いてまいりました」

娘からの手紙の最後には、
「どうして、流刑に遭った3人のうち、2人は都に戻ったのに、お父様だけが島に残っているのですか。この有王をお供にして、急いで帰ってきてください」
と書かれていました。

俊寛は、この手紙を顔に押し当てたまま、しばらく物も言えなくなりました。
やがて、
「これを見よ、有王。この子が、心細い、寂しいと訴えている。早く帰ってこいと書いている。自由になる俊寛ならば、どうしてこの島で、3年も過ごすだろう……。
あの子は、今年、12歳になるはずだ。母もいない、親族もない、一人ぼっちで大丈夫だろうか。ちゃんと結婚したり、仕事に出たりして、生活していけるだろうか。心配でならない……」
と、俊寛は、一人の父として、泣き悲しむのでした。

「人の親の心は闇にはあらねども 子を思う道にまどいぬるかな」
という有名な歌があります。親というものは、子供のことになると、自分のことも忘れて、心を砕き、迷ったように心配するものだ、といわれています。まさに、この歌のとおりの俊寛の姿ではないでしょうか。

どんな罪を犯した人でも、周り中から非難されるような人でも、子供を思う親心は変わらないものなのです。

おまえたちに、もう一度会いたかったから

俊寛は、こう言い残しています。

「ああ、今年は6歳になると思っていた男の子が、もう亡くなってしまったのか……。わしが、平家の屋敷へ出頭する時、この子は、自分も行きたいと言って跡を慕ってきたんだ。『お父さんは、すぐ帰るからね』と、なだめすかして家を出たのが、つい今し方のように思い出されてくる。あの時が、最後の別れになるのだったら、どうして、もう一度、抱いてやらなかったのだろうか。もっと、あの子の顔を見ておかなかったのだろうか……。
親となり子となり、夫婦の縁を結ぶのは、この世だけの契りではないはずだ。お互いに、前世から深い縁があったはず。それなのに、なぜ、子や妻が、先に亡くなったことを、今まで、分からなかったのだろうか。夢でもいいから、知らせてほしかった……。
こんな島で、人目も恥じず、何とかして生き延びようと思ってきたのは、おまえたちに、もう一度、会いたかったからなのに……」

どんなに恥をさらしても、どんなに苦しくても、妻や子に会うためならば……、と必死に耐えた俊寛の気持ちが、やるせなく伝わってきます。

「親思う心にまさる親心」
と言われるように、子供が親のことを思い、心配する心よりも、ずーっと深いのが、子を思いやる「親のこころ」なんですね。
『平家物語』が書かれた時代でも、今の時代でも変わらない「親心」に感動しました。
【平家物語の人物紹介】俊寛の親心「おまえたちに、もう一度、会いたかった……」の画像4
(イラスト 黒澤葵)


 

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【平家物語の人物紹介】俊寛の親心「おまえたちに、もう一度、会いたかった……」の画像5


 

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美しき鐘の声 平家物語(一)

美しき鐘の声 平家物語(一)

木村耕一(著) 黒澤葵(イラスト)