姫君の姿と老女の言葉に乱れる薫の心
都に戻ってからも、薫の心は乱れています。
あまりにも美しく優雅な姫君たちの面影に悩まされるのです。この時、薫二十二歳。
「仏法一筋に生きたいと願い、恋愛や結婚を冷淡視してきたのに、これはどうしたことか…」
目の前にちらつく姫たちの姿態を振り払い、心鎮めようと、山荘の人々には料理の折り詰めを、八の宮が勤行に籠もる寺の僧たちには袈裟や衣をと、精一杯布施に励むのでした。
また、出生の秘密を知るという、世慣れた老女も気になってしかたがありません。
最も知りたかったことではあるのに、やがて明らかになると分かると、心はいよいよ動揺するのでした。
初冬になり、薫は再び宇治に出掛けました。
従者が氷魚取り見物を勧めても、「何か、その蜉蝣(ひおむし)にあらそう心にて」(ヒオムシと儚い命を競うわが心であるから)と遊興には見向きもせず、八の宮の山荘に向かいます。
お経の深い意味の講釈に、旅の疲れも忘れて聞き入り、終わったあとは八の宮と琴の合奏をして、しみじみと語り合ったのでした。
実の父は光源氏ではない…明かされる薫の出生の秘密
明け方、薫は例の老女と再会し、詳しく話を聞きました。
彼女がかつて仕えていた貴公子は「柏木」といい、光源氏の親友の長男でした。
将来を有望視されながら、物思いに悩んだ末に病となり、若くして亡くなったといいます。
柏木は、薫の母である女三の宮をわが妻に、と強く望んだが、彼女は源氏の正妻になってしまった。
諦め切れず恋心をつのらせた柏木は、あろうことか源氏の留守を狙って女三の宮の寝所に忍び込み、無理やり一夜を明かしてしまう。
やがて女三の宮は懐妊し、秘密は源氏の知るところとなった。
追い詰められた柏木は大病に伏し、女三の宮も薫を生んで間もなく出家の身となった――。
「臨終の柏木様から遺言を託され、いつの日かこの経緯をあなたに伝えねばと念じてきました」
たいそう泣いて語る老女から薫は、柏木の形見の袋を渡されます。
中には手紙が入っているようです。
薫は老女に他言せぬよう念を押し、宇治を去りました。
帰京してすぐ、薫が袋を開けると、封には柏木の名。
中には五、六通の手紙があり、母・女三の宮からの返書も幾つかありました。
柏木は、自分の病は重く、最期が近いこと、「逢いたい想いはつのるばかり。あなたが尼になったのは悲しい」と鳥の足跡のような字で書き連ねています。
手紙の端には「幼い人も源氏の子として育つから安心だ」と書き添えてある。
「命あらば それとも見まし 人しれぬ 岩根にとめし 松の生(お)いすえ」
(命さえあれば、ひそかにわが子と見ようものを。人知れず岩根に残した松の生い先を)
と記し、力尽きたようです。
栄華も名声も虚構…秘密が薫の心を重くする
“実の父は、柏木だった・・・”
立ちすくむ薫。
母を訪ねると、無心に若々しい姿で読経しています。
薫に気づけば、恥ずかしそうにお経を隠す童女のような母に、「私は出生の秘密を知りましたよ」などと言えません。
出生の経緯を知れば、心が晴れるに違いない、と願ってきたのに、明らかになった今、むしろ、心はさらなる苦悶に縛られるのでした。
“私は不義密通の子。生まれるべき存在ではなかったのか…”
“今、私が得ている栄華も名声も、「光源氏の子」なればこそ。
こんな虚構の中で、ウソ偽りにまみれながら、それでも生きていかねばならぬのか?”
多くを語らぬ薫。
いや、語ろうにも語れぬ思いが胸に去来しては、一層心を暗重にしたことでしょう。
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