いつもは笑って流せる「うわさ」が……
いつもなら「そんなバカな。そんなこと、ある訳ないよ」と笑って流せる「うわさ」。
ところが、心が不安になっていたり、焦っていたりすると、そんな「うわさ」に、つい乗っかってしまいます。そして、不安や、思い込みも手伝って、「うわさ」がどんどん大きくなってしまいがちに……。
「うわさ」を思い込んでしまうと、情報を正しく受け止めることが、できなくなってしまうようです。そんな人間性が、『徒然草』に描かれていました。
「助けてくれ、猫まただあ、猫まただあ!」
(意訳)
「山の奥に、猫またという怪獣がいて、人を食うそうだ」
ある人が驚いて言うと、聞いた相手が、
「いや、山だけじゃないぞ。この辺りにも出るのを知らんのか。猫が年を取って化けると、猫またになって、人の命を取るらしいぞ」
と、いかにも見たかのように言い返していました。
行願寺の辺りに住んでいる、何とかという法師が、このうわさを聞いて、
「ああ、恐ろしい。独りで出歩く時は、気をつけよう」
と思っていました。
その法師が、夜が更けるまで連歌をして遊んで、独りで帰ってきた時のことです。自宅近くの、小川のほとりで、うわさに聞いていた猫またが現れたのです。まっしぐらに足元へ寄ってきて、いきなり飛びつき、首の辺りに食いつこうとするではありませんか。
法師は肝をつぶして、防ごうとしても力が出ず、腰が抜けて、小川の中へ転げ落ちて、
「助けてくれ、猫まただあ、猫まただあ!」
と叫んだのです。
驚いた近所の人々が、松明をともして駆けつけてみると、顔見知りの坊さんでした。
「これはいったい、何事ですか」
と、川の中から抱き起こしてやると、懐に大事にしまっていた扇や小箱などがバラバラと水の中へ落ちてしまいました。連歌の会で稼いだ賞品です。
しかし、法師は、そんな物には目もくれず、「よくも助かったものだ」という顔をして、はうようにして、わが家へ入っていきました。
実はこれ、飼っていた犬が、自分の主人を見つけて飛びついただけだった、ということです。
(原文)
小川のはたにて、音に聞きし猫また、あやまたず足もとへふと寄りきて、やがてかきつくままに、くびの程をくわんとす。きも心もうせて防がんとするに力もなく、足も立たず小河へころび入て、たすけよや、猫また猫また、と叫べば、家々より松どもいだして走りよりて見れば、このあたりに見しれる僧なり。(第89段)
受け止め方は、あなた次第
なんとも人間味がある「何とかという法師」。
当時は、坊さんといえば、学問も教養も高く、世間から尊敬されていた存在ですよね。
そんな坊さんでも、「うわさ」に振り回されてしまう姿が、おもしろいなと感じました。
うわさ話の中でも、「人を食う」とか「命を取る」とか、恐怖心をあおる言葉が、心にずっと残ってしまいます。そんな不安と、夜道の心細さも手伝ってでしょうか。毎日一緒にいる飼い犬が、「猫また」にしか見えなくなってしまったとは……。しかも、稼いだ賞品まで、台無しにしてしまって……。
「うわさ」を信じた滑稽さに笑えますが、思い込みや不安が、私たちの心に与える影響力の強さにも気づかされますね。
兼好法師は、この話を綴った後で、「だからこうしなさい」とは書いていません。そこが兼好法師の懐の広さだなぁと思いました。エピソードを紹介して、「受け止め方は、あなた次第」と、読者に任せています。
方向づけをされないから、読む私の心の状態によって、いろいろな受け止め方ができ、様々なアドバイスをもらえるんですね。なんだか、兼好さんと、おしゃべりを楽しんでいる気分にもなれました。
コロナ疲れには、ぜひ、兼好さんとお茶をいっぷく。
(イラスト 黒澤葵)
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