「家には居場所がない…」父の悲哀
第33回サラリーマン川柳のベスト10が発表されました。
サラリーマン川柳は毎年、世の男性の悲哀をコミカルに表現しています。
今年の第1位は
「我が家では 最強スクラム 妻・娘」
だったそうです。
家に居場所が無いことが如実に表れていて切ないですね。
コロナの影響で家にいる時間が増えたお父さんたちにとって、それだけ共感できる内容だったのでしょう。
私自身、定年退職後のことを考えると憂鬱になってきます。
仕事を終え、家にいる時間が増えるといったいどうなってしまうのでしょうか?
行くあてのない散歩を繰り返す定年退職後
実際に定年退職を迎えたKさん(60代男性)の切実な声がありました。
居場所がないと感じたときの孤独感がひしひしと伝わってくるようです。
定年退職、嘱託を経て、今年から本格的に隠居生活に入った67歳です。
定年退職をした後は好きなことをやろうと思っていましたが、なかなか見つけられません。一生懸命働いてきたので生活には困っていないし、それなりに恵まれてると思いますが、毎日が充実していないのです。
何をやっても「なんか違うなあ」と思いながら時間が過ぎていきます。家には居場所がありません。
それで、用事があるわけでもないのに毎日同じルートをぐるぐると散歩に出かけています。やっぱり仕事をして家族を支えていたときが一番自分らしい人生だったんだなぁ…としみじみ思うこの頃です。
仕事以外これといって趣味はありませんし、知り合いも会社関係の人ばかり。会社と縁が無くなったら、とたんにお払い箱です。
オレは何をしてたんだろう…と虚しさを感じますし、これからのことを考えると暗くなってしまいます。
定年退職した後に居場所がなくなるのはなぜ?
仕事一筋40年、一家を支える大黒柱として働いてきたけれど、年齢には勝てず定年退職。
その後の悲哀は男性の方には想像がつくと思いますが、なんといっても「居場所がないのが一番つらい」といわれます。
これまでは「会社」に居場所がありました。
しかし、家庭には居場所がないのです。
奥さんの視線に耐えきれず、図書館などに避難する人も少なくないそうですが、そんな生活はつらいですよね。
世の男性方は身につまされるお悩みだと思います。
女性はカルチャーセンターに行けば共通の趣味友達ができたり、近所にはお茶友達がいたりして、いつも周りに友人がいます。
そうして歳を取っても楽しく暮らしているように見えます。
一方、男性に友人ができないのはなぜでしょうか。
それは「男」という生き物の宿命なのです。
一番仕事に励んだ人が一番孤独になる…
男性は、同僚や取引先といった仕事に関係する人を除いて、ほとんど人間関係を持ちません。
群れることができない生き物なのです。
女性は大勢の友達と旅行したりしますが、男性はそれができません。
時間もお金もあったとしても、定年後に友達と「おい、京都にでも行こう」などと言うことはないのです。
仕事以外で人とつながることに価値を見いだせないからです。
とくにサラリーマンという職種の問題に限っても、男性が孤独になるカラクリを説明することができます。
サラリーマンが企業の中で出世をするということは、友人を振り捨てることでもあるのです。
もし同期で入社した仲間を親友とするならば、その親友を振り切ることが会社内での地位を上昇させることになるのです。
そう考えていくと、会社の中で一番孤独な人は、一番出世をした社長なんですね。
つまり一番仕事に励んだ人が一番孤独になる。
サラリーマンというのは、過酷な宿命を背負った、ある意味で非常にシビアな職業でもあります。
孤独とはどこに向かおうとしているかを知るための時間
大変寂しくされているKさんにこんな名言を贈ります。
孤独とは、港を離れ海を漂うような寂しさではない。
本当の自己を知り、この美しい地球上に存在している間に自分たちが何をしようとしているのか、どこに向かおうとしているのかを知るためのよい機会なのだ。
アン・シャノン・モンロー(米国の女性作家 / 1877~1942)
今孤独になっているのは、現役時代に仕事を頑張ってこられた証です。
これまでは家族のために頑張ってこられたのですから、今度はこの時間を利用して自分磨きをするのはいかがでしょうか。
自分磨きというのは、趣味を持つことに限りません。
もっと深く人生について見つめる時間をとる、というのも一つの自分磨きです。
人生における限られた時間を使って何をするべきなのか。
生きていくうえで大変重要なことを考える機会が訪れているのではないでしょうか。
人生で向かうべき先とは?
では、人生について考えるとはどういうことなのか、『なぜ生きる』(著:明橋大二・伊藤健太郎、監修:高森顕徹)から紹介します。
「なんで勉強しているの?」と聞かれたら、「明日、試験があるから」「資格を取るため」などと答えるでしょう。
「どこへ行くの?」と聞かれれば、「買い物」「気分転換に散歩」と言うように、行動には目的があるのです。
では、「なぜ生きるの?」と聞かれたら、なんと答えればよいのでしょうか。
生きることは大変です。
受験戦争を勝ち抜き、就職難をくぐり抜け、リストラにおびえて働き、老いや病魔とも闘わねばなりません。
人間関係のストレスに悩まされ、事故や災害、会社の倒産など、不測の事態も襲ってきます。
これらの苦難を乗り越えて、なぜ生きねばならないのか。
もっとも大事な「生きる目的」が示されぬまま、ただ苦しみに負けず「生きよ」「がんばれ」「死ぬな」の連呼は、ゴールなき円形トラックをまわりつづけるランナーに、鞭打つようなものでしょう。
(『なぜ生きる』(著:明橋大二・伊藤健太郎、監修:高森顕徹)p.31-32)
この疑問に向き合うには、今が絶好の機会と言えるかもしれません。
まとめ
お金、家、衣食住に恵まれているのは、それだけ仕事に打ち込んでこられた証拠で、素晴らしいことです。
しかし、それでも充実感がない、家に居場所がなくて寂しいと感じるのは、この先どこへ向かっていけばいいかという、生きる目的が示されていないからかもしれません。
お金を稼ぎ、生活を豊かにして生きてゆくのは何のためか。
孤独な時を充実したものに変えてゆくには、目的を知ること、生きて向かう先をハッキリさせることが先決でしょう。
向かう先が決まれば、日々の生活にも力がみなぎるはずです。
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