『万葉集』に詠まれる、子供を思う父のこころ
元号が「令和」になった時、出典は『万葉集』梅花の歌「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」と、発表されました。
日本の古典が、元号に引用されたのは初めてなんだそうですね。
すると、あれよあれよという間に『万葉集』がブームになりました。
『万葉集』とは、奈良時代末に成立した、現存最古の歌集(全20巻)。
その『万葉集』の代表的な歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)には、子供を思う心を詠んだ歌が多いのだそうです。
『万葉集』の歌に表れている、父親としての憶良の思いを、木村耕一さんにお聞きしました。
わが子に勝る宝はない
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 優(まさ)れる宝 子にしかめやも(『万葉集』)
(意訳)
子供は、最高の宝だ。
人々は、銀や金や玉などを宝物だと言って喜んでいるが、そんなものとは比べものにならない。
憶良は、たとえ世界中の財宝を集めても、わが子に勝る宝はない、と高々と宣言しているんですよ。
また、憶良が、父親としての気持ちを詠んだ、次の歌も有名です。
瓜食(うりは)めば 子ども思ほゆ 栗食(くりは)めば まして偲(しぬ)はゆ
いづくより 来(きた)りしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ(『万葉集』)
(意訳)
おいしいものを食べると、「子供に持って帰ると喜ぶだろうな」という思いがわいてくる。瓜や栗を、うれしそうに食べる子供の笑顔を想像するだけで、幸せな気持ちになるのだ。
親子とは、なんと深い結びつきなのだろうか。あの子らは、どこから来たのだろうか。とても、この世に生まれてからの五年や十年の関係ではないだろう。遠い過去世から深い因縁があったとしか思えないほど、かわいくて、かわいくてならない。
布団の中に入っても、子供の姿が目の前にしきりに浮かんできて、なかなか眠れない夜であることよ。
出先でおいしいものを食べている時も、布団に入って休む時も、子供のうれしそうな笑顔や姿が浮かんでくる……、とストレートに表しています。想像の中の子供でもかわいくて、目を細めて見ている憶良の姿がほうふつとしますね。
「ラーメン、一杯ね」
父親が子を思う心は、万葉の時も、今も変わらないようです。
こんなエピソードがありました。
元ボクサーの、少年時代の話。
少年は、栃木県の貧しい家庭に生まれた。
小学校の時から、せめて人並みに食事がしたい、遠足に行きたい、体操服を着たい……と願ったが、かなわなかった。「貧乏人」と白い目で見られるのがつらかった。怒りや悔しさから、ケンカが多くなり、地元では有名な悪ガキとなった。
中学2年の時、自転車を盗んだと疑われ、警察へ連れていかれた。濡れ衣だった。
「何もしていない」と言っても、信じてくれたのは両親だけだった。
やがて家庭裁判所から呼び出しが来た。父は、係官の前で、ひたすら謝っている。
「申し訳ありません。私が至らないばかりに……」
何度も、時計の振り子のように頭を下げている。少年は隣で、ふてくされていた。
裁判所を出てから、父は、
「腹が減っただろう? ラーメンでも食っていくか」
と言って、二人で、バス停の近くの、小さな食堂に入った。
父は値段を確認すると、ズボンや背広のポケットから小銭を集めて、
「ラーメン、一杯ね」
と注文した。男二人なのに、なぜ一杯なのか。考える余裕もなかった。
やがて、白い湯気を立てて、うまそうなラーメンが出てきた。少年にとっては、生まれて初めて食べるラーメンだった。うれしくて、興奮ぎみな息子の顔を見て、父は、満足そうに言った。
「いいから、早く食え」
少年は、あっという間に、ラーメンを流し込んだ。
「うまかったよ、父ちゃん!」
その時だった。父は、ほんのわずかにスープが残っているどんぶりに、コップの水を注ぎ、指でかきまぜて、一気に飲み干したのである。
少年は愕然とした。
父親も、腹が減っていたのだ。ラーメンを二杯注文すると、帰りのバス代がなくなる。なぜ気づかなかったのか……。
バス停に向かう父の背中を見ながら、少年は誓った。
「もう絶対に、親にペコペコ頭を下げさせるような悪事は働かない。将来、きっと立派になって、父親、母親を幸せにしてやる」
この少年こそ、後にプロボクサーとして世界チャンピオンになる、鈴木有二さんこと、ガッツ石松である。
(『親のこころ3』「はじめに」より)
(イラスト 黒澤葵)
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木村耕一さん、ありがとうございました。
子供のことを無条件に、かわいい、かわいいと大切にしてくれる父親は、なんて大きな存在でしょうか。
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