ウィズコロナ時代は、気のゆるみとの戦い!?
新型コロナウイルスの感染拡大が落ち着いてきたかと思いきや、7月に入ってから、感染者数が増えてきてしまいました。心配ですね。
新規感染者数が日ごとに増えている時は、「これは大変だ。しっかり対策しよう」と気を張っていますが、感染者数が落ち着いてきて、日常が戻りつつあると、「もう大丈夫だろう」と、ついついゆるんでしまいがち。
新型コロナは厄介で、気をつけていても、感染してしまうと聞きます。
ましてや、気がゆるんでしまったら……、考えただけでも怖いですね。
コロナと共存する、ウィズコロナ時代は、「気のゆるみ」との戦いなのかもしれません。
『徒然草』の109段に、「高名の木登り」という話がありました。
木村耕一さんの意訳でどうぞ。
気のゆるみ、油断は、こんな時に出てくるのです
(意訳)
「木登りの名人」といわれる男がいました。
ある日、名人が、人を指図して高い木に登らせ、枝を切らせていました。
高い所で、見るからに危ないと思える時であっても、名人は、何も声をかけません。
ところが、作業が終わって、高い木から下りてきて、もうすぐ地上というくらいになって初めて、
「間違いをするな。気をつけよ」
と声をかけたのです。
そばで見ていた私が不審に思って、
「これくらいの高さになれば、跳び下りることもできる。なぜ、今になって、そんなことを言うのか」
と尋ねると、名人は、こう答えました。
「そのことでございます。高い所にいて目が回り、枝が折れそうで危ない時は、自分自身が恐れて、気を張っていますから、あえて、注意しなくてもいいのです。間違いというものは、易しい所になってから、必ず起きるものでございます」
身分の低い人の言葉ですが、古からの賢人の戒めと、全く一致しています。
(原文)
そのことに候。目くるめき、枝あやうきほどは、おのれがおそれはんべればもうさず、あやまちは、やすき所になりて、必ず仕ることに候。(第109段)
(『こころ彩る徒然草』より 木村耕一 著 イラスト 黒澤葵)
「間違いをするな。気をつけよ」
木村耕一さん、ありがとうございました。
「高名の木登り」は、学校の授業で習ったのを思い出します。
遠足の帰りのバスで、
「家に帰るまでが遠足だから、気を抜かないように」
と、先生からよく言われました。
その根拠は、『徒然草』だったのかもしれません。
「高い所にいる時は、誰かに言われなくても、気を張っていますが、易しい所になると、間違いが起きる」
兼好さん自身が「古からの賢人の戒めと、全く一致しています」と書いているのに驚きました。昔から、日本人に根づいている「生きるヒント」なんですね。
新型コロナウイルスも、感染者数が落ち着いてくると、ほとんどの人は、緊張が解けて、気がゆるんでくると思います。
もしも、タイムスリップがあって、兼好さんが出会った木登りの名人が、私の目の前に現れたら、こう注意してくれるのではないでしょうか。
「そういう時こそ危ないんだよ。気をつけなさいよ」
タイムスリップはありませんが、『徒然草』は、何百年たっても、私たちに生きるヒントを与えてくれているんですね。
古典って、素晴らしいな、と感じました。
意訳とイラストでよくわかる!
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