深刻なひきこもりの孤独…。コロナ禍で加速する悩み
新型コロナの影響で、今まで感じたことのないストレスや不安に悩まされている人も多いのではないでしょうか。
そんな中、今以上に深刻な事態になりそうなのがひきこもり問題です。
平成31年3月、内閣府は40歳~64歳でひきこもり状態にある人が全国で推計61万3000人いると発表しました。
今までにもあったことですが、今年はコロナ禍で家にこもらざるを得ない状況の中、更に増えていくのではないかと言われています。
コロナの影響で会社を解雇され、そのままひきこもりに発展してしまうこともあるようです。
家族が家にいる時間が増え、衝突することが多くなった。
普通に仕事をしている人とひきこもっている自分との差が明確に見えてしまい、落ち込む。
少しずつ外に出られるようになっていたのに、外出自粛の影響でまたひきこもる生活に逆戻りしてしまった。
そのような声も聞こえてきています。
さまざまな葛藤、悩みを抱えておられる様子が伝わってきます。
思うようにできない焦りと不安からひきこもりに
Cさんは、知人のBさん(50代)がコロナ禍で仕事を失ったことで、ひきこもり状態から抜け出せなくなってしまうのではないかと心配していました。
Bさんは、はじめは再就職しようと頑張っていたそうです。
ところが、今までのキャリアが活かせる仕事を望んでも、なかなかいい返事はもらえません。
非正規かアルバイトで手を打つことも考えました。
ただ、自分と同年代の人が飲食店やコンビニで年下の上司から怒鳴られる姿を見かけたことがあり、うまくやっていける気がしないのです。
プライドを傷つけられてもなお、働き続けられる自信がありませんでした。
周囲の友人や元同僚はきちんと社会生活を送っているのに、自分は何をしているのか…。
無職の状態では体裁も悪く感じられ、社会の落伍者のように思われるのではないかと思い、友達とも会いたくなくなります。
今後のことを考えると不安で眠れず、明け方まで寝つけません。
しかし、求人案内を見たり、ハローワークに行く気にもなれません。
昼ごろに起きて、また夜は眠れないという、昼夜逆転の生活が続きました。
プライドを傷つけられることから逃げてしまい、家にこもることによって自分の身を守るしかないという状態に。
Bさんは、50歳を超えて親を頼りにせざるをえない日々に自分を責め続けました。
だからといってすぐに動けるものでもありません。
CさんはBさんの力になりたいけれど、どう声をかけたらいいかわからないでいると話していました。
ひきこもりは命を守る一つの手段
Bさんのように働き盛りで引きこもりになってしまい、「高齢の親に迷惑をかけている」という後ろめたさを抱えている人は少なくありません。
何とかしなければならないと気持ちが焦ってしまうのも無理はないでしょう。
そんなBさんにこのような名言を紹介します。
自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである。
フロイト(オーストリアの精神科医/1856~1939)
人の悩みの多くは人間関係に起因していると言われます。
家に閉じこもるのも、家族や友人や同僚、世間の目などが気になり、苦しいからでしょう。
ただ、ひきこもっていなくても、人間関係に悩んでいる人はたくさんあります。
そして、苦しむあまり自ら命を絶ってしまう人もいるのです。
そう考えると、ひきこもることは命を守るための一つの手段と言えるのではないでしょうか。
どんな人にも平等に価値があります。
失っていい命など決してありません。
命を守ることを最優先にするからこそ、ひきこもりが一つの選択肢として存在するのだと思います。
ひきこもるのも、生きることに頑張っている姿なのです。
天上天下唯我独尊~ブッダからのメッセージ
すべての人の命には価値があるということを教えられたブッダの言葉を紹介します。
「天上天下唯我独尊」
広く知られている言葉ですが、その意味は誤解されています。
「我」とはブッダのことではなく、「我々人間」ということ。
すべての人には、尊い目的がある。
だからこそ、みんな平等に命は尊いのだ、と教えられたのがブッダなのです。
ひきこもりになることで「社会生活のできない人間」という烙印を押され、みじめになって、ますます外に出られない。まさに悪循環に陥ります。
ここから脱出しなければ…と焦るのですが、どうすればいいかわからず、「ああ、俺は情けない…」とプライドはズタズタです。
社会から取り残され、「どうせ私には価値がない」と思っている人が多いのですが、ブッダの言葉にあるように、人間の価値は平等です。
ひきこもっている時間は、その命の価値を知るいい機会になるのではないでしょうか。
まとめ
ひきこもることで、後ろめたい思いを抱えている人は多いかもしれません。
しかし、苦しみのあまり自ら命を絶ってしまう人もあることを思えば、ひきこもることで守れる命もあります。
ひきこもるということは、生きるために頑張っている姿でもあるのです。
では、なぜそこまでして頑張って生きるのか。
このときこそ、命の尊さを知るチャンスではないでしょうか。
自分の命には価値があることを知ると自然と元気、勇気が出てきます。
意欲的になるかどうかの境界線は命の尊さ、目的を知るか否かの違いにあるのです。
目的を果たすための命(時間)ですので、実はとても意味のある大切な時間です。
心が元気になれば、やがて外に出る気持ちになります!
焦ることはありません。一歩一歩、進んでいきましょう。
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