こんにちは。国語教師の常田です。
皆さんは夢の中で誰かが何かを語ることがあれば、どのように受け止められるでしょうか。
当時、それは事実であると理解されていました。
今回も続けて、総角(あげまき)の巻を解説します。
胸騒ぎから宇治を訪れる薫
薫が大君を見舞った翌月のことです。
冬本番を迎え、薫は宮中の仕事で多忙な日々を送っていました。
しかし、ふと胸騒ぎを覚え、仕事を差しおいて宇治を訪れることにしたのです。
山荘に到着するなり、使用人の老女・弁が、
「大君様は、わずかな果物さえも口にしようとなさいません。もう快復の望みは…」
と泣きながら訴えてきました。
「なぜ知らせてくれなかったんだ!」。
薫は肩を震わせ、足早に大君の元に向かい、静かに横たわる彼女の手を取りました。
「しばらくお越しくださらなかったので、もうお会いできないだろうと思っておりました」
と苦しい息の下で答える大君。
薫は涙を流しながら、彼女の熱っぽい額にそっと手を当てます。
薬湯を勧めますが、大君は一滴も口にせず、薫は途方に暮れるのでした。
阿闍梨の夢に出てきた八の宮
山荘には、大君の父・八の宮と親交の深かった、宇治山の阿闍梨(僧)も夜通し仕えていました。
その阿闍梨が、少しまどろんだ時に八の宮が夢に現れた、と涙ながらにこう語り始めたのです。
「八の宮様は熱心に仏道を求めていた方ですから、浄土に往かれたことと思っておりました。
しかし先ほど夢に出てこられた時には、たいそう苦しそうなご様子でした。
『臨終に、娘たちの行く末が気になって心が乱れ、極楽浄土に往くができず、無念だ』と言われたのです」
八の宮を法の師と仰いでいた薫は泣かずにおれません。
それにもまして大君は、自分たちのせいで父が死後も苦しみ続けていると知るや、今にも息が絶えそうな心地になりました。
阿闍梨も衝撃のあまり言わずにおれなかったのでしょうが、病身の大君の気持ちを思えば、軽率な発言だったでしょう。
ところで、この阿闍梨の言葉には、『源氏物語』時代の仏教界の常識がよく表れています。
当時は、極楽往生するには、この世の執着を断ち、臨終に心を乱さず、静かに死なねばならないと、と信じられていました。
ですから死ぬまで未来への不安を抱えて生きていたのです。
大君はますます、”苦しむ亡き父の元へ、今すぐにでも行きたい”と生きる気力を失っていきました。
源氏物語全体のあらすじはこちら
源氏物語の全体像が知りたいという方は、こちらの記事をお読みください。
前の記事を読む 次の記事を読む これまでの連載はコチラ
話題の古典、『歎異抄』
先の見えない今、「本当に大切なものって、一体何?」という誰もがぶつかる疑問にヒントをくれる古典として、『歎異抄』が注目を集めています。
令和3年12月に発売した入門書、『歎異抄ってなんだろう』は、たちまち話題の本に。
ロングセラー『歎異抄をひらく』と合わせて、読者の皆さんから、「心が軽くなった」「生きる力が湧いてきた」という声が続々と届いています!