共に連れ添った伴侶を失う寂しさ
孤独の名言レシピ、今回のテーマは「配偶者(夫または妻)を亡くしての寂しさ」です。
一緒に生活してきた配偶者を失うショックは大変大きいでしょう。
特に男性で、家事全般などすべて妻に委ねてきた人は途方に暮れてしまいます。
今までいかに妻を頼りにして生きていたか、妻の笑顔を明りにしてきたか、身につまされるものです。
2月に亡くなった野村克也さんもその一人でした。
妻・沙知代さんは、野村さんにとってはかけがえのない大切な存在だったのでしょう。
妻を亡くした悲しみ、喪失感は大きいものでした。
生前は必ず沙知代さんと一緒に食事をしていたことを思い出しながら、「妻のいない生活に慣れる日なんて来るわけない」と、愛妻を失った孤独感や喪失感など心境を吐露していました。
ガクッときてしまうのがよく分かります。
夫を亡くした妻の心に空いた穴
妻を亡くした男性も当然辛いでしょうが、それは夫を亡くした女性も同じです。
Mさん(50代)は若くして夫を亡くしました。
Mさんはとても優しく、何事も一生懸命がモットーの人です。
Mさんのことを悪く言う人は聞かないくらい、周囲に気を配って頑張っている人でした。
ところが悲しいことに、Mさんの夫が不慮の事故でこの世を去ってしまったのです。
あまりにも突然の出来事でした。
だからこそMさんはショックが大きかったのでしょう。
今はしばらく休みたいと実家に戻り、両親と生活しています。
夫と死別し、心にポッカリと穴が空いてしまい何もする気力が起きないそうです。
不慮の事故…避けられなかったのかな。
生きている間にもっと優しく接していれば良かった。
お弁当や食事の支度など、もっと尽くすことができたはずなのに…。
振り返れば後悔することばかりです。
夫はMさんにとっての精神的支柱でした。
この先どう生きていけばいいのか…未来への不安もよぎります。
最愛の人を失う悲しみ
大切な人が亡くなることは本当に辛く、寂しいですね。
一緒に居るのが当たり前で、なくてはならない空気のような存在だった最愛の人が、突然目の前から居なくなるのは耐え難い苦しみだと思います。
ただ話し相手がいなくなっただけでなく、心の支柱が倒れてしまうことでしょう。
頼りにしていた配偶者を失うことは自分の半分がもぎ取られるようなものです。
そのため、普段は配偶者を失う可能性など考えたくもないでしょう。
大切にしていればいるほど、配偶者が亡くなるという心の準備ができている人は誰一人としていません。
悲しみのあまり、人に会いたくない気持ちが強く出ることもあります。
辛いときは人に会わない時間もあっていいと思います。
少し落ち着けるまでは、とにかく時間が必要です。
夫は大切なことを教えてくれた存在
こんな歌があります。
「夢の世に あだに儚き身と知れと 教えて還る 子は知識なり」
我が子を亡くし、悲しみに暮れている母親が歌ったものだそうです。
私たちの命は儚く、あっという間に散ってしまう。
そのことを忘れている私に、身をもって人生の儚さを教えてくれたのがあの子だった。
あの子は私の知識(先生)だった、という意味の歌です。
この歌の「子」を「夫」に置き換えることができます。
人生には限りがあることを教えてくれる人、人生について深く考えさせてくれる人、それが夫だったのです。
亡くなったご主人がMさんに願われることは何でしょうか?
それは当然「幸せになってもらいたい」このこと一つではないでしょうか。
こういう機会だからこそ、ご主人の死を無駄にしないように、無常の世の中を見つめてMさん自身が幸せになることが大切です。
それがご主人にとっても喜ばれることなのです。
孤独が私に教えてくれること
最後に名言を紹介したいと思います。
孤独の寂しさが人間の心を静かに燃やしてくれる。
前田夕暮(日本の歌人/1883~1951)
『孤独』という文字を見ると、なにか灯が消えたような静まり返ったイメージがあります。
愛する人ともう二度と会えない寂しさ、悲しみが込み上げてくる。
これからどう生きていけばいいだろうか、という不安も当然あるでしょう。
しかし、先に述べたように、その寂しさが人生において大切なことに気づかせてくれるのではないでしょうか。
平家物語の冒頭で有名な「諸行無常」という言葉は、「すべてのものは続かない」ことを示した言葉です。
命には限りがある。これは決して変えられない事実です。
そのことを知った時、日々生きている時間がいかにかけがえのないものかが初めてわかるのです。
そう考えると、孤独は、ただ火の消えたような状態ということではないのかもしれません。
まとめ
いずれ離れなければならないと知っていてもなお、愛する人との別れは寂しいものです。
失って初めて、その存在の大きさに気づくということもあるでしょう。
辛く悲しく寂しい思いは簡単に拭い去れるものではありません。
心が落ち着くまでは、時間が必要です。
ただ、亡くなったご家族が望んでいることは「幸せになってもらいたい」ということ一つではないでしょうか。
その命を通して教えてくれた人生の儚さを見つめて、1日1日を大切に生きていただきたいと思うばかりです。