こんにちは。国語教師の常田です。
匂の宮は何が一番欲しかったのでしょうか。
やがて東宮、帝になることが大切なら、もっと自重できるはずですね。
がむしゃらに浮舟を求めていくのはなぜでしょうか。
今回も、浮舟の巻を解説します。
ライバル・薫を前に動揺する匂の宮
二月十日過ぎのことです。
宮中の行事に、匂の宮も薫もそろって参加しました。
行事の休憩の折、薫はふと「衣片敷き(ころもかたしき)今宵もや」と名歌を口ずさみます。
“今宵も独り臥して私を待っているだろう、宇治の橋姫よ”の意です。
耳にした匂の宮に激しい動揺が襲いました。
薫は男盛りの美しさで、学問も政治も、芸事や心遣いにおいても優れており、匂の宮にとっては超え難い最強のライバルです。
“こんな立派な男を差しおいて、浮舟が私を愛してくれるはずはない”
翌日も行事が続きます。
人々は匂の宮の作った漢詩に感服して、大声で吟ずるのですが、本人は全く上の空でした。
匂の宮の思いと浮舟の不安
匂の宮はすぐさま驚くような無理をして、宇治へと出かけます。
雪の夜更けの、思いがけない匂の宮の訪れ。浮舟は胸を打たれました。
心弾む思いでいると、彼にさっと抱き上げられ、宇治川に浮かべた小舟に乗せられます。
浮舟が朝夕、儚げなものよ、と眺めていた小舟です。心細くて、匂の宮に寄り添いました。
いつしか雪もやみ、有明の月が空高く澄んで、水面がキラキラと輝いている。
ふと、舟が止まり、船頭が告げました。
「ここが、橘の小島です」
なるほど、古歌にも詠まれるように、雪景色に常緑樹の深い緑が映えている、と匂の宮は、
「年経(ふ)とも かわらぬものか 橘の 小島の崎に 契る心は」
(この千年変わらぬ木々の緑のごとく、長い年月がたとうとも、私の心は変わらぬとこの小島の崎で誓おう)
と詠みかけます。
すると彼女は不安げな顔で、こう返しました。
「たちばなの 小島の色は かわらじを このうき舟ぞ ゆくえ知られぬ」
(橘の小島の緑が変わらないように、お約束してくださる心は変わらないのでしょうが…、この宇治川に浮かぶ小舟のような私は、一体どこへ漂っていくのでしょう…)
舟は対岸に着き、二人は粗末な家に入りました。
やがて朝日がさして軒の氷柱がきらめきます。
匂の宮も一層美しく見えます。浮舟も、白い下着の着物だけで、細い姿態が美しく、いちだんと可愛らしい様でした。
この家で二日間、人目を気にせず、二人は戯れて時を過ごします。
しかし、匂の宮から「今後、薫には逢わないと約束してくれ」と念を押されると、浮舟は返事もできず、泣くしかありませんでした。
匂の宮は、自分が目の前にいても薫が忘れられないのかと、胸を痛めます。
浮舟の葛藤
都に戻った匂の宮は、食事も取らず青く痩せていきます。
浮舟の母は、娘が薫に引き取られることを喜び、準備の手伝いをよこしました。
浮舟は、寝ても覚めても匂の宮の幻影を見る自分を疎ましく思いました。
「薫の君に嫌われたらきっと生きていけない。匂の宮様も浮気者との評判だし、妻である中の君様にはとてもお世話になっているのに…」
そう悩むうちに、薫と匂の宮、双方から手紙が届きます。
薫は四月十日に浮舟を京に迎えようと準備を進め、匂の宮はそれに先んじて三月末に引き取ると伝えてきました。
浮き草のように不安な浮舟は、母のそばでしばし過ごしたい、と願います。
そんな折、母が宇治を訪れました。
今、彼女が頼りにできるのはこの母だけです。
ところが母は、娘がもうじき都の大貴族の薫に引き取られると大喜びな上に、
「もし娘が好色者(すきもの)の匂の宮なんかと問題を起こしたら、私は二度とあの娘と顔を合わせないでしょう」と女房たちに話しているではありませんか。
隣の部屋で浮舟は、胸がつぶれる思いでそのやり取りを聞いていました。
「死んでしまいたい」
宇治川の恐ろしい水音が響きます。
女房たちが「先日、子どもが転落したとか。命を落とす人の多い川で」と噂していました。
浮舟は、「生き恥を重ねるくらいなら、いっそこの身を、川に捨ててしまいたい」と思い詰めていきます。
「私もしばらく母君のそばにいたい…」と慕いますが、京の邸では異父妹の出産の準備があるのだからと諭されてしまいます。
宇治川の水音が不気味にうなる中、母は京に帰っていきました。
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