日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #48

  1. 人生

夏の終わりには、清少納言と一緒に秋を感じたい ~九月ばかり、夜ひと夜(枕草子 第124段) 

九月ばかり、夜ひと夜

今年の夏は暑かったですね。
いつまでこの暑さが続くのだろう、と思っていたら、雨が降った後からでしょうか、急に秋らしい空気を感じるようになりました。
一雨ごとに秋が深まる、ともいわれます。
そんな秋の雨上がりの情景が、『枕草子』に記されていました。
「九月(ながつき)ばかり、夜(よ)ひと夜(よ)」
なんだか、歌謡曲のタイトルみたいですね。木村耕一さんの意訳でどうぞ。

雨上がりの朝は、菊の花にも、クモの巣にも、新鮮な感動があります

九月のことです。
一晩中、降り続けた雨が、明け方にやみました。
朝日が、鮮やかな光をさして昇り始めます。
庭に咲く菊の花には、雨露が、あふれるほどついています。

夏の終わりには、清少納言と一緒に秋を感じたい ~九月ばかり、夜ひと夜(枕草子 第124段) の画像1

光り輝く露を見ていると、昨晩の風雨がウソのようで、とても清々しい気持ちになります。

竹で編んだ垣根などに張っているクモの巣には、雨だれが、大きな水玉になってついています。まるで、白い玉に糸を貫き通したように見えて、とっても面白いのです。

夏の終わりには、清少納言と一緒に秋を感じたい ~九月ばかり、夜ひと夜(枕草子 第124段) の画像2

雨に濡れて、重そうにしゃがんでいた萩なども、太陽が少し高くなって、露が落ちるたびに、人が手を触れないのに、枝が揺れ動いて、すっと跳ね上がるのが、とても面白いのです。

でも、こんなことが、他の人には、少しも面白くないだろうな、と思え、それがまた、面白く感じるのです。

(原文)
九月ばかり、夜ひと夜ふりあかしつる雨の、けさはやみて、朝日いとけざやかにさし出たるに、前栽の露は、こぼるばかりぬれかかりたるも、いとおかし。(第124段)

(『こころきらきら枕草子』より 木村耕一 著 イラスト 黒澤葵)

自分が楽しむ

木村耕一さん、ありがとうございました。
雨上がりの朝、清少納言と一緒に散歩をしているような気分になりますね。

清少納言のこんな言葉が、気になりました。
「でも、こんなことが、他の人には、少しも面白くないだろうな、と思え、それがまた、面白く感じるのです。」

自分が「面白い!」と思っても、他人から「面白くないね」と言われると、「そうかな……」と面白くなくなることがありますよね。
しかし、清少納言は「他の人には、少しも面白くないだろうな、と思え、それがまた、面白く感じるのです」と言います。

他人と面白さを共感できなくても、自分が面白いと感じたことを大切にしています。
そして自分の思いを、他人に押しつけることなく、他人の感性も尊重しています。

そうして人生を楽しんでいる姿、ステキです。

「作り手が、楽しんで作らないと、読者には伝わらないよ」
と、以前、出版業界の大先輩に、教えられました。

自分が楽しんでいないと、相手を楽しませることはできない。

雨上がりの朝の美しさを、清少納言は、心から楽しんで書いていました。
だからこそ千年たっても、『枕草子』は、愛読される古典になっているのですね。


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