日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #54

  1. 人生

歎異抄の旅⑩[京都・滋賀編]NHK大河ドラマ「麒麟がくる」と比叡山〜明智光秀は、何をしたのか

古典の名著『歎異抄』ゆかりの地を旅する

今回、旅をするのは、京都と滋賀にまたがる比叡山(ひえいざん)です。
比叡山は、親鸞聖人(しんらんしょうにん)が9歳の時、「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」の歌を詠まれて出家された山。
NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公、明智光秀(あけちみつひで)とも、深い関係があるのだとか!?
木村さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)

(前回までの記事はこちら)


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「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』ゆかりの地を旅します

(「月刊なぜ生きる」8月号に掲載した内容です)

明智光秀と木下藤吉郎の違い

NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」といえば、明智光秀。比叡山とも深い関係があります。
親鸞聖人の時代から約400年後の元亀(げんき)2年(1571)。織田信長は、比叡山を焼き討ちし、僧侶を皆殺しにせよと命じました。
実行部隊として、比叡山の中心部を明智光秀、北部を木下藤吉郎(きのしたとうきちろう。後の豊臣秀吉)に担当させます。
光秀は、この暴挙に反対して信長を諫めたともいわれています。しかし、信長の部下である以上、命令に従わなければなりませんでした。
やむなく光秀は、比叡山の門前町として栄えていた坂本(滋賀県大津市)を焼き、無動寺谷(むどうじだに)から山頂へ駆け登ります。
司馬遼太郎は、『街道をゆく』に、次のように書いています。

光秀のように性格が几帳面で有能な場合、虐殺がたんねんなものになってしまう。洞穴などがあればかならず兵を入れてかくれている者をひきずり出して殺した。光秀はこのあと、坂本と南近江をもらうのである。
一方、横川谷をふくめた叡山北部を担当した木下藤吉郎の場合、職務をいい加減にやった。この方面に逃げた多くの者がたすかったといまでも叡山で伝承されている。光秀と秀吉の人間を考える上で、深刻な課題をふくんでいる。
(『街道をゆく』より)

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当時、山上には「叡山三千坊」といわれるほど多くの寺がありましたが、一カ寺も残らず灰になったのでした。

千日回峰行に挑む僧侶が主人公の小説『風の呪殺陣』

信長を題材にした小説は数多くあります。その中に、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう。比叡山で行われる最も厳しい修行)に挑む僧侶を主人公にした異色の作品を見つけました。

隆慶一郎の『風の呪殺陣(じゅさつじん)』です。
主人公の昇運は、千日回峰行の達成を目指し、比叡山の峰から峰へ歩き続けていました。
ところが、ちょうど100日めの朝、行く手に不審な炎があがりました。おびただしい軍勢が山を登ろうとしています。信長の焼き討ちの始まりでした。
多くの僧侶が皆殺しに遭う中、昇運は命拾いしました。しかし、もはや千日回峰行を続けることはできません。
怒りの炎となった昇運がとった行動は、報復でした。織田信長を呪い殺すための修行を始めたのです。
この小説を雑誌に連載するにあたり、隆慶一郎は、千日回峰行と深い関係のある赤山禅院(せきざんぜんいん)へ取材に訪れています。
赤山禅院の、当時の住職は、叡南覚照大阿闍梨(えなみかくしょうだいあじゃり)。戦後4人めに千日回峰行を達成した人でした。
隆慶一郎が、小説を書き終わってから、かの大阿闍梨に報告したところ、強烈な一喝をくらったのです。隆慶一郎は、次のように語っています(叡南覚照大阿闍梨は御前様と呼ばれていました)。

あの小説は、叡山の千日回峰に挑んだ僧が、焼打ちの報復として、信長を呪殺するという話だったんです。それを、僕、御前様にお目にかかれた機会に話したんですね。すると、御前様、突然ものすごい形相になって、仏教が人を殺すかあ! 堪(こた)えましたねえ、ドキューンと堪えた。
(『小説新潮』平成元年10月臨時増刊より)

なぜ「仏教が人を殺すかあ!」と一喝したのか?

なぜ、千日回峰行を達成した大阿闍梨が、
「仏教が人を殺すかあ!」
と一喝したのか。
仏教に、「報復」はないからです。
「どんなことにも必ず原因がある。原因なしに起きる結果は、万に一つ、億に一つもない」と教えるのが仏教です。
そして、私たちが最も知りたい運命の、原因と結果の関係を、仏教では、次のように教えられています。

善因善果(ぜんいんぜんか)
善い因(行為)は、善い果(幸福や楽しみ)を生み出す。

悪因悪果(あくいんあっか)
悪い因(行為)は、悪い果(不幸や苦しみ)を引き起こす。

自因自果(じいんじか)
自分に現れる善果も悪果も、すべて自分の因(行為)による。

幸福も不幸も、自分の運命のすべては、自分の行為が生み出したものであり、絶対にそれ以外を認めないのが仏教です。

他人の因(行為)が、自分に果(運命)として現れること(他因自果)もありません。
自分の因(行為)が、他人に果(運命)として現れること(自因他果)も、絶対にないと教えるのが仏教の自因自果の教えです。

誰かが、織田信長に報復しなくても、信長は自分が犯した罪の報いを必ず受けていくのです。
それなのに、小説の主人公は、
「自分は真面目に修行していたのに、信長が比叡山を焼き討ちしたから、千日回峰行を達成できなかったのだ。悪いのは、信長だ! あんなやつを生かしておいていいのか。仲間を虐殺された仕返しを、俺がしてやる」
と恨みをつのらせていきます。
人を恨み、報復する行為によって罪を造り、彼もまた、生きながら地獄の責め苦を受けて死んでいくのでした。

赤山禅院の大阿闍梨は、
「釈迦の教えを守っている者なら、報復など考えるはずがなかろう」
という意味で、一喝したに違いありません。
隆慶一郎は、もう一度、小説を書き直したいと言っていました。しかし、念願果たせず病で亡くなり、『風の呪殺陣』は未完の小説になってしまいました。

幻と消えたのは、城だけか?

比叡山の東側のふもと、琵琶湖に面した町、坂本を訪ねてみました。
京都駅から、JR湖西線で比叡山坂本駅へ。町を歩くと、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の旗が至る所に立っていました。「明智光秀ゆかりの地」と大書されています。

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明智光秀は、比叡山を焼き討ちしたあと、信長からこの地を与えられ、坂本城を築きます。当時、ポルトガルから日本に来ていたルイス・フロイス(※1)は、「明智の坂本城は、信長の安土城に次ぐ豪壮華麗な城だった」と伝えています。
比叡山で大虐殺を行った織田信長は、11年後に、自分の家臣に殺されます。燃え上がる本能寺で亡くなりました。
信長を討ったのが、明智光秀でした。
光秀に、どんな怒りや恨みがあったのかは謎です。思いを遂げて喜んだのも束の間。11日後には、かつての同僚・秀吉に、山崎の合戦で敗れてしまいます。
謀反人と呼ばれ、哀れな姿で坂本城へ逃げる途中、農民の竹槍に突かれて亡くなったと伝えられています。

琵琶湖のほとりに、坂本城址公園があります。城は跡形もありませんが、かつての城主・光秀の像が立っていました。思ったよりふっくらした体格。鎧を着て遠くを見つめています。

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像のそばには「光秀(おとこ)の意地」と題する演歌の歌碑がありました(作詞 祝部禧丸)。
ボタンを押すと、
「わしは主(あるじ)を間違えたようじゃ……」
と、鳥羽一郎の歌声が流れる仕組みになっています。

琵琶湖の対岸(滋賀県近江八幡市)には、信長が築いた安土城がありました。権力を象徴する壮大な城だったといいます。ルイス・フロイスは、「われらヨーロッパの城よりも、はるかに美しく、気品があった」と書き残しています。
しかし、信長が討たれた直後、安土城は焼失します。築城から、わずか6年後のことでした。光秀の坂本城も、信長の安土城も、今や、幻の城となりました。
歴史には、先人の生きざまが刻まれています。私たちは、たった一度しかない人生を、何に懸ければいいのか……。歴史から学ぶことが多いと思います。

(原文)
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)・火宅無常(かたくむじょう)の世界は、万(よろず)のこと皆もってそらごと・たわごと・真実(まこと)あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。
(『歎異抄』後序)

(意訳)
火宅(※2)のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。ただ弥陀(みだ)より賜った念仏のみが、まことである。

※1ルイス・フロイス……ポルトガルのカトリック宣教師。織田信長や豊臣秀吉らと会見し、当時の日本の様子を書き残した。その著書『日本史』は、戦国時代研究の貴重な資料となっている。

※2火宅……火のついた家のこと

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比叡山は、歴史のドラマの舞台になってきたんですね。「万のこと皆もってそらごと・たわごと」の『歎異抄』の言葉が、心にしみました。次回もお楽しみに。(古典 編集チーム)

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