こんにちは。国語教師の常田です。
身も心も浮き草のような浮舟が周囲の反対の中、出家しました。
自らの人生を切り開こうとして、彼女の心はどう変わったのでしょうか。
今回も、手習(てならい)の巻のあらすじを解説します。
ついに出家した浮舟の心情
出家して、尼姿の浮舟はあふれる思いを手習いに託します。
「なきものに 身をも人をも 思いつつ 捨ててし世をぞ さらに捨てつる 今はかくて限りつるぞかし」
(なきものと、わが身をも人をも思って、捨ててしまったこの世を、また改めて捨ててしまったことです。今はもうこうして一切を終わりにしたのだわ)
と書いても、それでもやはり、我と我から、たいそう悲しい思いです。
断ち切れないものを感ぜずにはいられません。
長谷寺参りから帰ってきた妹尼は、髪を下ろしてしまった浮舟の姿に驚き、
「あなたがすてきな男性と結ばれるように、と願をかけてきたのに…」
と嘆きますが、今更どうしようもありませんでした。
前向きに生きる浮舟
出家の念願を果たしても、なお思い迷う気持ちはそこかしこににじみ出ます。
「心こそ うき世の岸を はなるれど 行く方も知らぬ あまのうき木を」
(心だけはこの憂き世を離れていても、先はどうなるか分からぬ、頼りない私の身の上です)
そんな彼女を、都から比叡の山に帰る途中で小野に立ち寄った僧都が、
「今はただ、勤行に励みなさい。老いも若きも関係なく、いつ死ぬか分からぬ世の中ですから」
と励まします。
気持ちが晴れ晴れした浮舟は、以来、小野の人々とも打ち解け、笑顔を見せるようになりました。
勤行や経典の勉強にも、生き生きと取り組みます。
薫の使用人の訪問
新春を迎えました。谷川が凍りついて、水の音がしないのまで寂しく感じます。
匂の宮にはいやな気持ちになっていますが、なぜか彼との逢瀬、語らいは忘れられません。
「かきくらす 野山の雪を ながめても ふりにしことぞ 今日も悲しき」
(空を暗くして降る、野山の雪を眺めても、ずっと前のことが思い出されて、今日も悲しいことです)
ある日、一人の男が「主人が寵愛した亡き姫のため、美しい装束を仕立ててもらいたい」と小野を訪ねてきました。
それは薫の使用人で、装束はまさに浮舟の一周忌のためだったのです。
使用人は亡くなった宇治の姫君たちの話や、いまだ薫の悲嘆に暮れる様をしゃべります。
そして、薫が宇治の山荘に書きつけた歌も口にしました。
「見し人は かげもとまらぬ 水の上に 落ち添う涙 いとどせきあえず」
(愛した人は姿もとどめない水の上に。落ち添う悲しみの涙はいよいよせき止めることもできない)
彼女は、薫がいまだ自分を忘れずにいると知り、胸を熱くするのでした。
同時に、母の嘆きはどれほどであろうかと思いを致さずにはおれません。
薫に届いたうわさ
一方、一周忌が過ぎても浮舟を想い続ける薫は、宮中で姉の明石中宮に愁いを語ります。
そこでくしくも”浮舟が生きている”といううわさを耳にしたのです。
実は明石中宮の配慮でした。
早速、事情をよく知る僧都に確かめようと、薫は小君(浮舟の弟)を連れて横川に向かいました。
彼女と再会できたなら…と夢心地になってみたり、他に男がいたらどうしよう…と心配したりしながら。
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