昔も今も変わらない
新しい年が始まりました。
新たな気持ちで目標を立てたり、今年の夢を描いたり、心は世界を駆け巡りますね。
自分の思ったとおりに、ずんずん進んでいけたらいいのですが、なかなか思うようにならず、いろいろな障りが出てくるのが世の常のようです。
たとえば、うわさを信じて惑わされると、いたずらに時間を取られたり、思いがけずに無駄なものを買ってしまったりして、あとで後悔することもしばしば。
「みんなが言っているから本当だろう」「あの人が言うなら間違いない」と、うわさを鵜呑みにしてしまうのは、昔も今も変わらないようです。
『徒然草』にも、うわさを信じた人たちの面白いエピソードがありました。
木村耕一さんの意訳でどうぞ。
皆が信じている、そのうわさ、本当に、本当ですか?
(意訳)
「人間の女が、鬼になったそうだ!」
「鬼が捕らえられて、伊勢国から都へ連れてこられるらしい」
応長の頃のことです(1311年頃)。
突然、こんなうわさが流れ、あっという間に広がりました。
そのため京都の人々は、「一目でいいから、鬼を見たい」と言って、我先にと、鬼の後を追いかけたのです。
「鬼は、もう都に入ったそうだ」
「昨日は、西園寺様のお屋敷で見せ物になったらしいぞ」
「今日は、きっと、上皇様の御所に違いない」
「今は、あの辺りにいる!」
などと、盛んに情報が飛び交っていました。
しかし、「鬼を見た」と言う人は、どこにもいないのです。
そうかといって、「こんな話、うそに決まっている」と否定する人もいません。
貴族も、武士も、一般の人も、都の人は皆、鬼のことばかり、毎日、うわさしていました。
私がちょうど、東山から安居院の辺りへ向かっていた時のことです。多くの人々が、「一条室町に鬼がいるぞ!」と大声で叫びながら北へ向かって走っていくのを見ました。
ずっと遠くへ目をやると、人が全く通れないほど大混雑しているではありませんか。
これは確かな情報かもしれないと、私も気になって、人を雇って調べに行かせたのです。
使いの者が帰ってきて言うには、
「やはり、鬼を見たという人は、一人もいませんでした」
本当に、鬼は、どこへ行ったのでしょうかね。
この日は、夕方まで騒ぎが続き、しまいにはけんかが起きて、けが人が出る事態にまでなったのです。
結局、こんな大騒動が、都で20日間あまりも続いたのでした。
それからまもなく、都に病気がはやり、多くの人が苦しみました。
すると今度は、
「あの鬼のうわさは、病の流行を予言するものだったに違いない」
と言う者が現れる始末。皆、好き勝手なことを言っていますね。
(木村さんの解説)
700年前の事例です。根拠のない、無責任な情報が、うわさとして広まって、多くの人が惑わされる様子を、とてもリアルに描いています。ここには、昔も今も変わらない人間の姿が表れているように思います。
(「月刊なぜ生きる」令和3年1月号に掲載した内容の一部です。イラスト・黒澤葵)
自分で確かめてから
木村さん、ありがとうございました。
人は、勝手なことを言うものだな、と思いました。
ですが、それに振り回されてしまうのも事実です。
さまざまな情報が飛び交う今こそ、自分の目で確かめてから、行動するようにしていきたいなと思いました。
兼好さん、気づかせてくれて、ありがとうございます。
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