戦国時代の人間模様
NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」は、最終回「本能寺の変」が放送されました。
豪華キャストが演じる明智光秀、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康など、それぞれの個性が輝いていましたね。裏切ったり、裏切られたり……。
その時々で主張を変えていく武将があれば、志を貫き通す武将もあり、戦国時代の人間模様にハラハラ、ドキドキ。日本の歴史の面白さを再認識しました。
『平家物語』にも、「武士の鑑(かがみ)」とされる斎藤実盛(さいとうさねもり)が登場します。
平家が落ち目になっていた、木曽義仲(きそよしなか)との俱利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い。
その中にいた斎藤実盛は、仲間とこんな会話を始めました。
木村さんの意訳でどうぞ。
源氏は強く、平家は弱い
俱利伽羅峠で敗れた平家は、加賀の篠原(加賀市)に集まり、人馬を休めていました。
その中に、関東出身の武将、斎藤実盛がいました。彼は、気心の知れた仲間と、毎晩、酒を酌み交わしています。
ある日、実盛は、
「この世の形勢を見ると、源氏は強く、平家は弱い。
やがて、平家は滅びてしまうだろう。
さあ、おのおのがた、今のうちに、木曽殿のほうへ参ろうではないか」
と言いました。平家を裏切って、源氏へつこうという提案です。
皆は、
「それがよかろう」
と言います。
平家から受けた恩
翌日、また集まって酒を飲んでいる時に、実盛が、
「ところで、昨日、言ったことだが、どうする。
おのおのがた」
と問いかけます。
仲間の一人、俣野景久(またのかげひさ)が進み出て、こう言います。
「我々は、東国では、武勇で名の知れ渡った者ばかりだ。
信念もなく、形勢が有利な方へ向かって、あっちへ行ったり、こっちへ来たりするのは、実に見苦しい。
人はどうか知らんが、この景久は、平家から受けた恩を大事にして、最後まで戦うつもりだ」
同志たち
実盛は、からからと笑って、
「いや、申し訳ない。
実は、おのおのがたの心を試そうと思って、あんなことを言ったのだ。
わしは、最後まで、平家の武将として戦い、討ち死にしようと覚悟を決めている」
と言ったので、皆、心から賛同したのです。
実盛との約束があったからでしょうか。
この座にいた関東出身の老武者は、一人残らず、見苦しい振る舞いをせず、北陸で討ち死にしたのでした。
不思議な者
この後、斎藤実盛は、あえない最期を遂げてしまいました。
「不思議な者を討ち取りました。
侍かと思うと、錦の直垂(ひたたれ)をつけています。
大将軍かと思うと、後に続く兵は誰もいません。
名乗れと言っても、名乗りませんでした。
言葉は、関東なまりでした」
という報告を受けた義仲は、
「ああ、もしや斎藤実盛ではなかろうか。
実盛ならば、わしが幼い頃に見た時は、白髪まじりであった。
今はもう70を越えているはずだから、すっかり白髪になっているだろう。
それなのに、なぜ、髪も、ひげも黒いのだろうか」
と言います。
髪、ひげが黒い謎
すぐに実盛を知っている家臣が呼ばれました。
一目見るなり、
「ああ、痛ましい、実盛殿……」
と涙を流します。
そして、こう説明しました。
「あまりにも哀れで、思わず、涙があふれてしまいました。
実盛殿は、いつも私に、こう言っていました。
『戦場へ向かう時は、髪も、ひげも黒く染めて、若々しく装おうと思う。
なぜなら、わしは、幾つになっても、若者と対等に競って先駆けをしたいのだ。
そんなことを白髪頭ですると、大人げないではないか。
また、わしは、老人扱いされ、人から侮られるのは悔しくて我慢ができない。
だから、常に若々しくして出陣するのだ』
まさに、その言葉どおり、今日も、髪を染めて戦っていたのですね。
実盛殿の髪を洗ってみてください」
義仲も、
「そうかもしれない」
と思って実盛の頭を洗わせてみると、
果たして、髪は、真っ白になっていったのでした。
大将軍がつける錦の直垂
では、なぜ、斎藤実盛は、大将軍がつける錦の直垂を着ていたのでしょうか。
これには、次のような経緯がありました。
斎藤実盛は、北陸へ出陣する前に、平家の棟梁である宗盛(むねもり)に、次のように願い出たのです。
「先年、東国へ向かって出陣した時に、富士川で、水鳥が飛び立つ羽音に驚いて、矢を一本も射ずに逃げ帰ってきたことは、我が人生の中で、最大の恥辱だと思っています。
このたび、北陸へ向かって出陣しますが、富士川での恥をすすぎ、必ず、討ち死にする覚悟であります。
実は、私は、武蔵国(埼玉)に領地を頂いておりますが、もとは越前国(福井)の者です。『故郷には錦を着て帰れ』ともいわれます。錦の直垂の着用をお許しください」
平宗盛は、
「けなげな申し出だ」
と、実盛の心意気に打たれ、特別に錦の直垂を許したのでした。
芭蕉が詠んだ句
実は実盛は、幼い時の義仲を助けた、命の恩人だったのです。
義仲は、斎藤実盛の兜(かぶと)、直垂を、多太八幡(石川県小松市)に納めました。
この兜は、現在、国の重要文化財となって保管されています。
江戸時代の有名な俳人・芭蕉(ばしょう)も、『奥の細道』の旅の途中で、この兜を見るために多太八幡を訪れ、次の句を詠んでいます。
むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす
芭蕉
(『美しき鐘の声 平家物語』木村耕一著 イラスト 黒澤葵 より)
恩を感じて、報おうとした人
木村さん、ありがとうございました。
斎藤実盛は、仕えた平家、生まれ育った故郷、そして生涯をささげた武士の道にも恩を感じて、最期まで報いようとしたのですね。
「恩」とは、原「因」を知る「心」と書きます。
今、自分がこうしているのは、あの人のおかげ、この人のおかげとご恩に感謝して、報いようとする人は、昔も今も立派な人なんですね。
世の中がどんなに変わっても、「感謝の心」は忘れないようにしたいと思いました。
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