古典の名著『歎異抄』ゆかりの地を旅する

最近は暖かくなったり、寒くなったり……。「三寒四温」とはよく言ったもの。そうして、春が近づいてくるのですね。梅や菜の花、河津桜などの花が咲き始めて、心もウキウキしてきます。
今回の『歎異抄』ゆかりの地を旅する連載では、日本の生け花のルーツもご紹介します。
木村さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)

(前回までの記事はこちら)


歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像1

「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』ゆかりの地を旅します

(「月刊なぜ生きる」に好評連載中!)

古都の玄関・京都駅

──木村さんが京都駅に到着したようです。あれ、キョロキョロと、どうされましたか?

新幹線で、東京から京都に着いたのですが、駅ビルの雰囲気の違いに驚きました。
首都の顔である東京駅は、赤レンガ造りのレトロ感を大切にしています。
それに対し、千年以上の歴史を誇る古都の玄関・京都駅は、斬新なモダン建築です。
駅ビルの烏丸口(からすまぐち)、そこはまるで深い谷底のようです。右にも左にも、上層階へ向かってエスカレーターが延びています。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像2

──すごい、まるで宇宙ステーションのようですね。

京都市街を見渡したいので、吹き抜けの空間をエスカレーターを乗り継いで昇ってみると、細長い広場に出ました。見晴らしのいいガラス張りの展望台がありますよ。

──いいですね、行ってみましょう。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像3

駅の真正面には、白い京都タワーがそびえています。街を照らす灯台をイメージして、昭和39年に建設されました。まさに、京都のシンボル。高さは131メートルあります。

実は、この京都タワーには、鉄骨が一切、使われていません。そこが、東京タワーや東京スカイツリーと大きく違うところです。

京都タワーは、飛行機や船のように、特殊な鋼板シリンダーを溶接してつなぐことによって造られたのです。

──そうなんですか、驚きました。

日本の「生け花」のルーツ

京都タワーの東側を、真っすぐ北へ延びる道路が烏丸通りです。
今回の目的地である六角堂は、京都駅から約2.5キロメートル先。ゆっくり歩いてみることにしました。

京都タワーの隣が、ヨドバシカメラ。
やがて東本願寺。

──あれ、京都って、お寺の町じゃないんですか?

京都だからといって、寺ばかり並んでいるわけではありませんよ。東京と同じように大通りの両側にはビルが建ち並んでいます。

京都駅から30分ほど歩くと、六角通りと交差します。この角に、ちょっと変わった外観のスターバックスコーヒーの店舗がありました。全面ガラス張りになっていて、ビルの向こう側に建っている寺が透けて見えるのです。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像4

──不思議な光景ですが、なんだか、かっこいいですね。

歴史の街の景観を守るための工夫だとか。そうです。ガラス越しに見える寺が六角堂です。
本堂の屋根が六角形なので、「六角堂」と呼ばれていますが、正しい名は紫雲山頂法寺。天台宗の寺院です。

──中に入ってみましょう。

山門から境内に入ると、本堂のすぐ前に、「へそ石」がありました。中央にくぼみのある六角形の石です。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像5

立て札には、昔の本堂の基礎石だと書かれています。約1200年前に、六角堂を北へ15メートルほど移動させた時に、一つ、置き忘れたのでした。

──なんと、置き忘れですか。私もよく忘れます(汗)。

ちょうど京都の中心にあり、形がおもしろいので、「へそ石」と呼ばれるようになったのでしょう。境内のお茶所には、へそ石餅まで売っています。遊び心で、観光客へのサービスとして生まれたものに違いありません。

──1200年前の置き忘れの失敗も、名物になるんですね。

本堂の裏には池があり、ハクチョウが悠然と泳いでいます。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像6

──気持ちよさそうですね〜。

しかし、池の柵に、

「かみつきますので白鳥に近づかないようにして下さい」

と書かれているので要注意。

──えっ、白鳥ってかむんですか!? ところで、なんで寺に池があるのですか?

587年に、京都を訪れた聖徳太子が、この池で体を清めたことがきっかけで、六角堂が建立されたのです。
この寺を守る役割を担ったのが小野妹子でした。

──妹子さん? 女性でしょうか?

女性のような名前ですが、男性です。聖徳太子に仕えていた外交官で、遣隋使として中国へ派遣されたことでも有名です。

聖徳太子の指示で日本へ仏教を伝えることにも貢献した小野妹子は、出家して六角堂の住職になりました。

──小野妹子さんは、なんでもできる人だったんですね。

仏教では、仏さまに美しい花をお供えします。中国へ行って、お仏花の素晴らしさに感動した小野妹子は、六角堂の住職になってから、自ら花をいけて、ご本尊にお供えするようになりました。
これが、日本の「生け花」の始まりだといわれています。

──仏さまにお供えするお花が、生け花の始まりだったんですね。小野妹子さんの生け花、見たかったです。

僧侶の住まいを「坊」といいます。
小野妹子は、聖徳太子が体を清められた池のそばに住んだので、「池坊(いけのぼう)」と呼ばれるようになりました。

──へえ、小野妹子が、池坊なんですね。

以来、六角堂の住職は、代々、華道の家元・池坊が務めています。境内に、池坊会館が建っているのは、そのためです。

親鸞聖人のお歌を発見

六角堂の本堂は、土足のまま通り抜けられる造りになっています。天井を見上げると、
「見真大師(けんしんだいし)」
と大書された額がありました。

──「見真大師」とは、どなたのことですか?

これは、明治天皇が親鸞聖人(しんらんしょうにん)の功績を讃えて贈った名前です。

──親鸞聖人のことなんですね。『歎異抄』には、よく「親鸞は」とか「親鸞におきては」と書かれています。

そうですね、その親鸞聖人です。

さらに、その横には「見真大師御詠歌」として、

「寒くとも たもとに入れよ 西の風
  弥陀(みだ)の国より 吹くと思えば」

が額に入れてありました。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像7

しかし、何の解説もありません。おそらく六角堂を訪れる人の中で、この歌の背景を知る人は、ほとんどないのではないでしょうか。

──えー、知りたいです。どんな背景があるのでしょうか?

親鸞聖人は、40歳過ぎから関東へ赴き、多くの民衆に仏教を伝えられました。
ある大雪の晩、親鸞聖人は道に迷ってしまわれたのです。
やっと見つけた一軒家で、朝まで休ませてほしいと頼まれましたが、断られてしまいます。
その家の主、日野左衛門(ひのざえもん)が、
「オレは坊主が大嫌いだ!」
と言って追い払ったのです。

そこで親鸞聖人は、
「あんな日野左衛門にこそ、弥陀の本願を伝えたい」
と、雪が降りしきる屋外で、石を枕にして休まれたのでした。その時に詠まれた歌が、
「寒くとも たもとに入れよ 西の風
  弥陀の国より 吹くと思えば」

だったのです。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像8

──そこまでされたとは……。その時のお歌なんですね。

この歌に込められた親鸞聖人のお気持ちは、次のように拝察できます。

「この西の風は、弥陀の浄土から吹いているように思われる。
だから衣の袖に入り込む寒風も、親鸞、拒みはしない。
ただ知らされるのは、阿弥陀如来の広大なご恩である」

まもなく日野左衛門は、親鸞聖人から仏教を聞くようになるのですが、詳しいエピソードは、この連載が関東の巻になった時に明らかにしましょう。

──よろしくお願いします。

六角堂の本堂の横には、「親鸞堂」が建立され、親鸞聖人の木像が安置されています。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像9

それだけでなく、旅姿の、親鸞聖人の銅像まで建っていました。

歎異抄の旅⑭[京都編] 京都の六角堂への画像10

──六角堂って、聖徳太子が建立されたと聞きますが……。聖徳太子よりも、親鸞聖人なんですね。

これだけ親鸞聖人との因縁を強調する六角堂ですが、残念ながら、境内には、親鸞聖人の教えを伝えたり、解説したりするものは何もありませんでした。


木村さん、ありがとうございました。六角堂と、親鸞聖人とは、どんな関係があるんでしょうか? 次回もお楽しみに。(古典 編集チーム)

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