花まつりはお釈迦様の誕生日
今回のテーマは「花まつり」です。
最近では、あまり馴染みがなくなってきたかもしれませんが、毎年4月8日に行なわれる行事のことです。
4月8日はブッダの誕生日とされています。
仏教を説かれた「ブッダ」の誕生を祝ってなされるのが「花まつり」です。
ブッダが生まれられたのは「ルンビニー園」という花畑で、春ということもあり、きれいに花が咲きほこっていました。
そこから、ブッダ生誕の日として「花まつり」として祝われるようになったのです。
とはいえ、ケーキを食べたり、プレゼントをもらうというような行事ではありません。
寺では、甘茶をブッダの像にかけたりします。
ブッダが生まれられ、仏教を説かれなければもう知ることのできなかったことがある。
ブッダの誕生があればこそと、感謝の気持ちを込めて祝うのが「花まつり」です。
では、ブッダが生まれなければ知ることのできなかったこととは何でしょうか。
ブッダ誕生にまつわる有名なエピソードからお話ししましょう。
教えを知ると、生きる上でとても勇気と元気が湧いてきます。
ブッダが教えを説かれた目的は?
ブッダは生まれられたときに、東西南北に7歩ずつ歩かれ、右手は天を指し、左手で地を指されて「天上天下唯我独尊」と仰ったと言われます。
牛や馬の子供なら生まれてすぐに立ち上がって歩きますが、人間の子供が生まれてすぐに歩き、さらに言葉を発するということは考えられません。
ここで大事なのは、実際にあったかどうか、ということよりもその意味なのです。
ブッダがさとりをひらかれたのは35歳のときであり、亡くなったのは80歳といわれます。
ですから45年もの長きにわたって、教えを説いてこられました。
ブッダの教えは今日、何千巻ともいわれる膨大な数のお経となって残されています。
ということは、ブッダの教えを知ろうと思ったら、その膨大な数のお経を読まねばなりません。
しかし誰でも彼でもお経を読むことはできないでしょう。
一体、ブッダは何を私達に伝えられるために教えを説かれたのか。
ブッダの教えを短く、象徴的にあらわされているのが、誕生のときのエピソードなのです。
ブッダが仏教を説かれた目的は何だったのかをインパクトのある形であらわされたということです。
「天上天下唯我独尊」の本当の意味
「天上天下唯我独尊」は一般的に、「この世界で一番偉いのは俺一人だ」と威張り散らしたような意味だと思われています。
たとえば、人の意見を聞かず自分の考えだけを押し通そうとする人に「あの人は唯我独尊的な人だ」などと言ったりするでしょう。
しかしブッダといえば、多くの人から称賛をあびる世界の偉人です。
そんな方が「俺が一番偉いんだ」などと思いあがったことを言われるでしょうか?
もしそうならば、多くの人に感銘を与え、今日まで語りつがれることはなかったはずです。
では「天上天下唯我独尊」とは何を言われたものなのでしょうか。
「天上天下」とは天の上にも天の下にもということで、この世界で、という意味があります。
「唯我独尊」の我とは、釈迦だけではなく、我々人間を表す言葉です。
男性も女性も、老いも若きも、生まれた国や能力・貧富・学歴・健康な人なのか病気や障害を持っているとか一切関係なく、人間として生まれたすべての人のことを言われています。
ですからこの中に入らない人は一人としていません。
「唯我」とは、犬や猫や鳥や魚ではなく「人間に生まれた私達にだけ」とか「人間として生まれた時にしか」という意味です。
次の「独尊」で「たった一つの尊いことがある」と言われています。
言葉を変えれば、「たった一つの尊い目的・使命があるのだ」というのが「独尊」の意味です。
ですから「唯我独尊」とは「人間に生まれなければ果たせないたった1つの尊い目的がある」と言われた言葉なのです。
そんな尊い目的・使命を持って生まれたのが私たちですから「人の命は限りなく重く・尊厳なもの」「命はとても大切で、粗末にしてはならない」と仏教では教えられます。
自分に価値が感じられない
ところが、日本人は自己を肯定する気持ちが他の国に比べて低い傾向にあるといわれます。
そのため自分に自信が持てない、自分が生きていることに意味や価値を感じられなくてむなしさや孤独感に襲われることも多いようです。
孤独感、生きることの意味や価値を問う歌も多く出ています。
たとえば浜崎あゆみさんの「A song for XX」では
「居場所がなかった 見つからなかった
未来には期待出来るのか分からずに」
とか
「一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く
きっとそんな毎日が当たり前と思ってた」
と歌われています。
また、加藤ミリヤさんの「20-CRY-」では
「どうして私はここにいるの baby
どうして私は生きているの ツライ
ねぇ 誰か助けて ねぇ どうしたらいいの
もうわからないよ 私が生まれたその意味を」
と歌われていました。
こういった曲が歌われたのも、自分に自信が持てない、生きてる意味がわからないといった思いを抱く人が多くあったからでしょう。
「唯我独尊」はブッダからのメッセージ
また異動や採用によって新しく入ってきた人が、今まで自分のやっていた仕事を代わりにやるようになることもあります。
自分がやっているから回っているんだと自負していたのに、代わった人の仕事ぶりがとても評価されたらどうでしょうか。
自分のしていたことは特別なことでもなんでもなくて、誰にでもできることだったのかと気づかされ、寂しくなるでしょう。
誰でも特別な存在でありたい、オンリーワンでありたいと思いますが、現実には自分の存在にどれだけ意味や価値があるのかと悩んでしまう。
そんな瞬間を、誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。
仏教を説かれたブッダは、「天上天下唯我独尊」という言葉を通して、
「たとえ誰が何と言おうとも私たち一人一人には、人間に生まれた時にしか果たせない大切な目的がある。だからどんなに苦しくても辛くても、あなたの人生には意味が、価値があるんだよ」
と言われています。
まとめ
仏教の教えを象徴的にあらわされているのが「天上天下唯我独尊」というブッダ誕生のエピソードです。
ですから「花まつり」の日にはブッダが生誕なされたことに思いを馳せ、ブッダの教えを聞いてみていただきたいのです。
人間に生まれた時にしか、果たせない尊い目的とは何か。
仏教を通して、学んでもらいたいと思います。
話題の古典、『歎異抄』
先の見えない今、「本当に大切なものって、一体何?」という誰もがぶつかる疑問にヒントをくれる古典として、『歎異抄』が注目を集めています。
令和3年12月に発売した入門書、『歎異抄ってなんだろう』は、たちまち話題の本に。
ロングセラー『歎異抄をひらく』と合わせて、読者の皆さんから、「心が軽くなった」「生きる力が湧いてきた」という声が続々と届いています!